setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

中馬街道と瀬戸

瀬戸市 南新谷のメインストリート(西本町)

瀬戸の銭湯、数年前に廃業された日本鉱泉前から路地に入り、西本町の通り(今の国道155号線)に出る。右(東)に向かう道が地蔵坂だという。路地から出てきた三叉路の北側に地蔵堂があった。明治になって栄国寺ができ延命地蔵さんと大切にされていた。昭和16…

瀬戸市 南新谷のメインストリート(アピタ 幸町〜銀杏木町へ)

瀬戸アピタの店と駐車場の間の東西の道を歩く。現西本町の交差点から南に向かう道が、瀬戸大府東海線と呼ばれる道になる。自分が瀬戸に来たころは、瀬戸文化センターに抜けるこの道はなかった。文化センターができたのでこの道ができたのだ。この道ができた…

瀬戸の三地蔵(郷の佐吾八地蔵②)

前回、夜泣きをなおしてくれるお地蔵さんの話を書いた。まだ続きが。 この家(佐吾八さんの子孫の家)には、明智光秀が使用したと言い伝えられている家宝の箸があるという。この箸で夜泣きする子どもにものを食べさせると、奇妙になおるというので、方々から…

瀬戸の三地蔵 (郷の佐吾八地蔵①)

郷の佐吾八地蔵には、『文政9年(1826年)2月 施主伊藤佐吾八』と刻まれている。このお地蔵様を東に上ると伊藤伊平さんという有名な方の家がある。通りかかった方に聞くとその方とは関係なく、今は加藤姓になっているが、親戚の方が近くに住んでみえると言…

瀬戸の三地蔵 郷?南新谷?

瀬戸にもたくさんのお地蔵様がみえる。その中に『瀬戸の三地蔵』と呼ばれる三体のお地蔵さんがある。堀出し地蔵と郷の佐吾八地蔵と南新谷の地蔵だという。堀出し地蔵は『中馬街道の歴史を歩く会』その7とその8で取り上げたので、郷と南新谷(みなみしんが…

中馬街道の歴史を歩く会 番外編 新しい道

明治23年に深川神社の境内で、中馬街道の竣工式が行われ、瀬戸村は、昔からの起伏のある狭い街道ではなく、他の村と協力して新しい街道づくりを始めた。森橋を起点とした中馬街道、森橋から西の瀬戸街道(旧)を結び名古屋とい信州飯田を結ぶ街道だ。瀬戸駅前…

中馬街道の歴史を歩く会 番外編(瀬戸シネマ・追分)

瀬戸村と今村との境、中馬街道の呼び名が正式に決まったこの街道の起点が森橋。歩く会は品野に帰るバスの時刻があるため今回はここで終了。次回は何をするんだろうと考えながら別れた。 自分は、折角なのでついでに、今村の人達が通った映画館が追分にあった…

中馬街道の歴史を歩く会その13(森橋)

十三塚地蔵堂を地道沿いに南下すると国道155号線に出ると、明治二十三年に制定された中馬街道になる。瀬戸街道とも呼ばれていた道だ。瀬戸街道と言っても共栄橋を通らずに追分を通って新瀬戸から根の鼻、三郷に抜ける瀬戸街道の旧道だ。追分から旧中馬街道と…

中馬街道の歴史を歩く会その12(十三塚地蔵堂)

十三塚について瀬戸ペディキュアには、次のような話が載っている。 今から400年ほど前、長久手というところで豊臣方の軍勢3万が、1万8千の徳川方の軍勢に後ろから攻められて、みじめな負け方をした時の話じゃ。 敗れた豊臣勢の侍は、てんでばらばらに逃げた…

第5回せと歴史探訪講座 やっと③(青の広場と伊香保温泉)

2月2日に範效公民館で行われた瀬戸蔵ミュージアムの元館長武藤氏に教えてもらったことの3つ目の記事になる。 宮前(深川神社前)は瀬戸の劇場や料理屋が多くの人が集まった。昭和29年に『青銅の基督』の映画の撮影が瀬戸キャニオン(粘土鉱山)で行われた。…

中馬街道の歴史を歩く会その11(陣屋・安戸の馬頭観音から十三塚へ)

29名の年寄りを中心とした団体は、ここに来た頃に先頭から最後尾まで長い列となっている。ゆっくりお顔を拝見する余裕はもうなかった。写真だけ撮らせてもらった。 尾張旭の郷土の研究家の石頭逍遥氏が『瀬戸の馬頭観音』の記事には、『光背には「明治28年8…

中馬街道の歴史を歩く会その10(加藤商店から陣屋・安戸の馬頭観音へ)

歩く会の面々は、窯神グランドを過ぎると左に曲がり、次も左に。陣屋の道に入る。 基本的にはこの通りが中馬街道だ。道は南西方向に進む。 陣屋の道に入り400mほど歩くと、右手に赤い郵便ポストが目立つ加藤商店になる。 この加藤商店の前を斜めに入っていく…

中馬街道の歴史を歩く会その9 (青面金剛王と庚申堂)

青面金剛(しょうめんこんごう)王と記されている石塔だ。青面金剛像と言えば怖いイメージがある。青い顔で、三つの眼があり怒り丸出しの怖い顔、足元には踏みつけられて3匹の猿。昔は、奇病をもたらす鬼だったために、人々は祀ることによって災から逃れよう…

中馬街道の歴史を歩く会その8 (掘出し地蔵の昔話)

堀出し地蔵はSetopediaにはこんな話があると書かれていた。 伝承地 瀬戸市湯之根(この場所の北東)あたり? 昔、加藤治右衛門(じえもん)さんという人がいました。治右衛門さんが、ある夜、眠っていると夢の中にお地蔵さんが現れて、 「私は、昔、観音山に…

旧山繁商店 享保雛

堀出し地蔵前を南下すると左手に古い大きな家がある。曲がりくねった細い道を少し進むと、きれいなつるし雛が入口に飾られている家があった。のぞいてみると一人の女性が黙々と作業をされていた。お雛様はまだ準備中で23日から公開するのぜひ見に来てくださ…

中馬街道の歴史を歩く会(泉町の山崩れ)番外編①

中馬街道を歩くために品野のグループが宮前から追分まで30名近くの年寄りが歩いた。2月11日のことだ。自分も参加したが、今日20日、池田通りを北上しもう一度堀出し地蔵の撮影が目的だ。 目的以外にとんでもなく自分にとって、得ることが多かった。堀出し地…

中馬街道の歴史を歩く会その7(道標と堀出し地蔵)

右手から左手に向けて歩いた。ひかり保育園が右手奥にある。ひかり保育園の前を下っていく道が池田通り、銀座商店街を横切って記念橋に出る。写真を撮っている自分の後ろは迷路に近い道だ。窯神神社や銀座商店街の西方面に行けるが、結構複雑だ。 堀出し地蔵…

中馬街道の歴史を歩く会その6(交通安全観音から堀出し地蔵へ)

泉町の山崩の石碑から印所街道に戻り北上する年寄り集団。(実は母親と男子中学生の親子も参加している。)しかし平均年齢は自分より高いだろう。最高齢は90歳だ。上り坂になると列は長くなる。 狭い道を通っていくとこんな目立つ看板がある。車で通ると気に…

中馬街道の歴史を歩く会その5(泉町の山崩の石碑)

中馬街道の痕跡を探しながら30名近くの集団は印所街道を北上し、陶祖公園方面に抜ける道に右折。すぐ右の路地を上ると左手奥に泉町の山崩を記した石碑が建っている。 昭和32年8月7日の大雨のため、瀬戸市泉町で山が崩れ22名もの死者を出した。この30年は高度…

中馬街道の歴史を歩く会その4(焼き物でできたお寺の鐘)

歴史街道を歩く会は、深川神社から秘密の通路を抜けて市杵島神社に。この神社のすぐ隣りにある法雲寺へ。 山門から入って右奥に、普通では考えられない物が置いてある。陶器の梵鐘だ。高さ115㌢、直径80㌢の梵鐘だ。昭和17年に製作された。 日本は、日中戦争…

中馬街道の歴史を歩く会 その3(まぁよく歩いたもんだ)

中馬街道を歩く会の90歳を筆頭に総勢29名は、深川神社を出だしに、北へ南へそして西へ歩き追分を目指したが、途中で時間が無くなり地図の国道155号線にかかる⑪森橋でギブアップ。でもよく歩いた。80前後の方が多いのだ。アラウンドエイティの軍団が進む。 地…

中馬街道の歴史を歩く会 その2 秘密の通路

深川神社、瀬戸村の鎮守の神社。村人が集まる場所だった。特別に宝物殿にも入り、重要文化財に指定されている加藤藤四郎景正(陶祖)作の陶製の狛犬を見た。その横には釣鐘が置いてある。お寺?いやここは神社だ。説明では神仏混淆の関係だという。豊川稲荷…

中馬街道の歴史を歩く会 その1

今日は、品野の『郷土と文化を広める会』の総勢29人の集団が名鉄バスで瀬戸へ行った。品野から瀬戸へ行くのも宮前へ行くの意味だ。瀬戸の西部(今村)に住んでいる自分も瀬戸(宮前)に行く。バカ道路の駐車場に駐車して。午前9時半に瀬戸の宮前地下街の大鳥…

第5回せと歴史探訪講座 戦争と建物疎開②

公民館での『第5回せと歴史探訪講座』で、講師の武藤氏は、瀬戸にはバカ道路以外にも数か所の地域で建物を壊したとのこと。空襲による延焼を防ぐためだ。 さらに武藤氏は、西本町にある栄国寺の近くにお母さんが当時住んでいた(のだろう)長屋が、その区域…

第5回せと歴史探訪講座 戦争と建物疎開①

瀬戸の宮前の『バカ道路』と呼ばれるバカ広い道路、南北の200mほどのどん詰まりの道だ。4月の陶祖祭や9月のせともの祭にたくさんの屋台が出て存在感があるが、普段は駐車場になっている。この幅広いどん詰まりの道は、元は家があり強制的に退去させられた部…

第5回せと歴史探訪講座『瀬戸に行かんでどこへ行く』

5回目は前瀬戸蔵の館長武藤氏による瀬戸の歴史の講座だ。 『瀬戸に行かんでどこへ行く』の瀬戸は、陶原小学校出身の武藤氏にとっても宮前だったということから、話が始まった。瀬戸は昭和30年代までは給料日が1日と16日の2回あり、宮前にはたくさんの露店が…

第5回歴史講座その1 記念橋を間違えて覚えていた

2月2日は、5回目の歴史講座だ。講師は瀬戸ミュージアムの前館長の武藤氏。瀬戸で生まれ育った方だ。瀬戸に行くということは、宮前に行くことだと話し始めた。この内容は今後まとめていきたい。 今回の講座で最大の収穫は、自分は間違えて覚えていたことを教…

年寄りの戯言620 第4回『せと歴史探訪』講座 今村について その3

郷土史を調べている方を講師に迎えて様々な話が聞けた。知識の豊富さに驚かされた。地域に生まれ地域で育って来た中で、先人から伝えられた歴史を歩きながら検証してきた。知識の豊富さがすごい。一部だけ紹介したい。 この日彼は、今村地区の西半分の説明を…

年寄りの戯言612 瀬戸のベルト道路 番外編2(青銅の基督)

粘土鉱山で撮影された松竹映画『青銅の基督』。陣屋鉱山だから本山中学校の西側だろう。ベルト道路のある鉱山は、中学校の南側だから直接は関係ないが、同じ時代につくられた鉱山だ。 瀬戸ノベリティ文化保存研究会のサイトに、1955年に青銅の基督のクライマ…

年寄りの戯言604 久しぶりに中馬街道

瀬戸市の品野地区では、中馬街道をテーマに勉強会をしている。品野の中を通っている中馬街道、日本の道百選の96番目に選ばれている。 さっそく勉強会に加えてもらった。はじめの予定人数よりもかなり増えて始まった。自分の住んでいる地域での取り組みでも同…