setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言451 瀬戸でおきた過去の水害⑧ 昭和58年9.28豪雨災害 

 昭和58年9月28日、木曽川沿いの美濃加茂市坂祝町で豪雨による大災害が起こった。同じ日、矢田川庄内川沿いでも大きな被害が出ている。年寄りの戯言396で書いた。瀬戸市の地元新聞 しんあいち新聞で新しい記事を見つけた。

 豪雨が下校時間帯だったために下校中の5名の小中学生が命を落とした。瀬戸では被害にあったのは小学生だけではなかった。中学生も流されているのだ

 しんあいち新聞(瀬戸を中心に発刊していた新聞)でこの日の被害の記事を見つけた。瀬戸では、小学児童だけでなく、中学生も流されていたのだ。下校中通学路で、側溝と道路の境目が分からず側溝中に吸い込まれてしまった。200mも側溝を流され、暗渠の切れ目に一旦止まったため縁につかまり助けを待った。幸いにも近くの人が気づき助け上げた。側溝は幅1.5m、深さ1.5m、自分の家のそばにある水路と同じものだろう。

 当時の中日新聞の地方版には、流された3年生の女子中学生の話が載っている。名東区の猪子石で友人と歩いていて三差路の交差点にさしかかった。突然右手の坂道を滝のような水が襲った。二人は一瞬のうちに足をすくわれた◯◯さんは、どうにか踏みとどまったが、△△さんは、深さ1mになった濁流に飲み込まれてしまった。

 毎日通っていた通学路だ。坂道を流れ下ってくる水の怖さを理解しないといけない。1時間に50㍉の降水量があると、排水が追いつかない。とくにコンクリートアスファルトでつくられた都市部では、危険になる。なくなった5人の生徒児童は水の流れで溝などの排水路に吸い込まれている。しかも身近な場所なのだ。