setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言516『かんこしても閑古鳥』が平成だった瀬戸

 瀬戸はこの30年、いろいろとかんこしても、景気が悪くなる一方だった。瀬戸物工場は景気が悪くなり、跡取りがいないがために多くの事業所が閉鎖された。かつてあった大きな工場は、ほとんどがマンションや大型スーパーなどに変わった。

 自分の知り合いも先日工場を畳んだ。よく言っていた言葉は「その日の借金を返すために、働く」だった。子どもたちを育てるために働いてきた。その子どもたちが独立した今、借金のために働いていてもさらに借金が増えるばかり。思い切って仕事を廃業した。

 自分が来る前の瀬戸は、百貨店があり、駅前にはジャスコとユニーが並んで建っていた。宮前だけで3つも映画館あったのだ。月2回の給料日があり、宮前(深川神社前)は屋台が並び人で溢れた。宵越しの金は持たないのが瀬戸だった。末広商店街や銀座商店街には客が多くいた。でも知らぬ間にシャッター街になっていた。

 

 でも藤井聡太さんの登場は瀬戸に大きな影響を与えてくれた。『焼き物の町、瀬戸』ではなく『将棋の藤井八冠の町、瀬戸』で世の中は定着してきた。まだ21歳の藤井聡太八冠は、藤四郎、民吉についで3人目の救世主になってくれるはず。その効果が出始めている。瀬戸蔵横に大きなホテルができた。客も多いようだ。シャッター街だった商店街に人が戻ってきたという。人であふれ活気のある明るい瀬戸にしなければ。

 藤井八冠にとって自慢のできる瀬戸でなければならない。