setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

第5回せと歴史探訪講座 戦争と建物疎開②

 公民館での『第5回せと歴史探訪講座』で、講師の武藤氏は、瀬戸にはバカ道路以外にも数か所の地域で建物を壊したとのこと。空襲による延焼を防ぐためだ。

 さらに武藤氏は、西本町にある栄国寺の近くにお母さんが当時住んでいた(のだろう)長屋が、その区域に指定され2週間で立ち退きになってしまった。戦時中であり、命令は絶対だった。昭和20年5月のことだ。3月19日には名古屋大空襲があり4万棟の家や工場が灰になった。

 写真の大鳥居をくぐると深川神社に続く参道だ。水色の屋根は、有名になった瀬戸の地下街だ。裏側は宮前公園駐車場になっている。この区域も建物疎開でできた空間だ。昭和25年に市議会のリコール運動が瀬戸で行われた。知識では知ってはいたがそれが何だったか疑問だった。たった2週間という短期間に家や店を強制的に壊された人たちが補償を求めて市を訴えていた。決着がつかなかったためリコール運動になったという。結果、救済措置として大鳥居と神社の間に店がつくられたのが、宮前地下街と呼ばれる場所だという。

 参道には昔はこんな大きな酒屋があった。鯛利商店さんだ。(写真は、鯛利商店のホームページから借用した。)昔、縁日や給料日などは大勢の人が宮前に集まり、ここで酒を買い求め大騒ぎしたんだろう。今は残念ながら店は目立たない場所(ウナギの田代の前の電気屋さんの西)にある。今でもここに行けば蓬莱泉や明眸などのうまい酒が手に入る。明眸は品野にあった有名な酒蔵だ。今はないが蓬莱泉の関谷酒造さんでつくられている。