setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

過去への旅④ 販売競争されていたタバコ

 

 昭和32年の新聞記事だ。『東海たばこ販売共同連合組合会が年末年始に行った贈答用たばこ謝恩セールの抽選会』の結果が記事に乗っている。

 自分(昭和27年生まれ)が小学生の頃は、父親のたのしむタバコを大森さんという店に買いに行った。『新生』40円だった。

 昭和の時代、どこの店でもタバコを販売できるものではなかったはず。指定されたそれなりの業者(店)だけが販売できた。タバコを製造販売していたのは、昔は大蔵省、その後、専売公社になった。小売店が公社から卸してもらい販売する。

 抽選会は、タバコの販売促進のために東海たばこ販売協同組合が年末年始に行った抽選だ。名古屋市の公会堂で大々的に抽選会をしている。日立製のテレビが賞品の特等は長久手だという。昭和32年のテレビと言えば特別高価の電化製品だった。1等以下は当選するとたばこが商品だった。1等はピース10本入り100個だという。

 いろいろなタバコを出しながら、どんどん国民に売りつけていた。今では考えられない時代だ。『いこい』『ピース』『ホープ』などが出て、その後『セブンスター』や『マイルドセブン』などが次々と発売されたが、自分の父親は高齢になってもタバコ屋さんに頼んで『新生』を取り寄せてまで吸っていた。

 現在の人たちには想像できないだろうが『歯の裏が真っ黒』なんて言葉まで流行した。