setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

瀬戸市 南新谷のメインストリート (権現から幸町へ)

 瀬戸の第一小学校である陶原小学校前をすぎると権現山という小さな山の北側の麓を街道が通っている。右手(南)には、かつてヤロ学校とも揶揄された瀬戸窯業高校が山の上に見える。瀬戸の焼き物産業の発展には大きな役割を果たした学校だ。瀬戸陶器学校として生まれ瀬戸物生産の研究に特化して活動した。黒い石炭で白い瀬戸物を焼くなんて、当時の人々には考えられなかった。実現させたのはこの学校があったからだ。

 瀬戸窯業という名前はもう過去の話、今は『瀬戸工科高校』という新しい名前が、校舎に掲示されていた。焼き物(窯業)だけでなくデザインやロボットなど新しいことへの挑戦も始まった。2021年に新しい名前に変わっていた。

 旧道の両脇には昔いろいろな店があったことを感じさせられる。幸町に入って行くと、左手にアピタの黄色の大きな看板が見える。アピタは昔ユニーという名前で知られていた。瀬戸のユニーは、着物部門として『ほていや』が中に入っていた。なんと自分が豊橋市立旭小学校の同窓会(55年ぶりの同窓会)で再会したメンバーの一人が瀬戸のこの着物部で新人として活動していた。すぐ近くで生活していたことを後から知った。

 そして、昭和の地図を見ていて知ったこと、ユニーのすぐ隣にジャスコがあった。どちらも昔の名前で出ていました。ジャスコはやがて瀬戸の西北部の水野に新しい大型店を出して移転した。ユニーは黄色の看板を掲げアピタになった。瀬戸街道側にはエディオンが看板を一緒に上げている。