setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言485 『今そこにある危機』南海トラフ

 瀬戸市の防災講演会が文化センターであった。地域防災研究センター長の愛知工業大学・横田崇先生が講演された。

 地震についての話が中心だった。50年前から東海地震が起きると世の中は騒いできた。判定会が開かれ危険な場合、予知情報でなるものが出る。当時はたしか駿河湾海底を震源とした地震だったと思う。耐震基準を満たした家にしましょう、家具が倒れないように固定しましょうなどなど大騒ぎした。

 今日の講演でまず分かったこと。どうも予知ができず予知情報は出ない東海地震という言葉もなくなり、南海トラフ地震に統一されているようだ。そんなの知らないようという内容だった。多分世の中の多くの年寄りは、東海地震が起きそうになると予知情報が流れると信じているのではなかろうか。自分もテレビやラジオで緊急速報が流れ、避難場所に逃げるものと思っていた。あれから半世紀、阪神や東日本で大型地震があったが、自分の住む東海地方ではあるあると言われながらも発生していない。

 南海トラフ地震は、過去の地震から計算すると100年から150年ごとに発生している。宝永地震(1707年)、安政東海地震1854年安政南海地震1854年)、昭和東南海地震(1944年)昭和南地震(1946年)がプレートの滑りに寄って起きた南海トラフ地震だ。宝永地震は一度に、安政や昭和の地震は東側から1日〜2年後にM8クラスの地震が短期間に連続して発生している。しかも昭和の地震は、1943年に鳥取地震→1944年昭和東南海地震→1945年三河地震→1946年昭和南地震と巨大地震が連続して発生した。戦時下において地震はほとんど発表されず調査もあまり行われなかった。

 きっと大地震の予知は無理になったんだろう。我々は、南海トラフ地震はいつ発生してもおかしくない。また、1891年(明治24年)に関東大震災(M7.9) よりも大きな濃尾地震(M8.0)が濃尾平野北部を震源に起きている。三河地震(M6.8)とともに愛知県で大きな被害が出ている。断層型の直下地震だ。

 もし発生した場合、どうするか各人がシミュレーションしないといけないと、そんな時期に入ったのだ。