setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

歴史散歩⑪蛍雪の学び舎その4 平町公園(後編)

 健脚なA氏とともに平町公園に。

googleマップ より

 平町公園には、地域の人たちが集まりを図るために西部コミュニティーセンターがある。平町公園は広い公園だ。市民から市民野球場を作ってほしいとの要望が高まるが、なかなか実現に至らなかったため、平町公園のグランドが代替として市民が使っていた。戦後から昭和40年代は野球ブーム、自分が子供のころはヒーローは長嶋であり王選手だった。『ちかいの魔球』『巨人の星』『黒い秘密兵器』などの漫画があった。野球がうまい奴が人気者だった時代だ。

 昭和45年にやっと瀬戸市民公園野球場ができた。そして昭和51年にやっと平町公園が地域の公園になり、西部コミュニティーセンターができた。ここは公民館とともに地域の人たちが集まり学んだ場所だ。しかしこの建物も半世紀たち地震に耐えることができないとして、ついに取り壊されることになった。そのあとは何ができるか?

 センター前には『治水碑』がある。水を治めるわけだから水害なのだから瀬戸川が原因だと思うが違っていた。明治24年に発生した濃尾地震がもとになった水害なのだ。揖斐川の上流の根尾谷で発生したM8.0の地震で、名古屋より北の地域では多くの家屋が被災した。瀬戸では全ての窯が倒壊したという。ここ今村では北の丘に作られたため池が決壊していっきに水が田畑を流してしまった。その復興のために国家・明治天皇の命でお金が出たことに対する感謝の言葉が碑に記されている。

 他に、『協力之碑』もある。今村の地域の土地区画整理事業の喜びを碑にしたんだろうし、地域をまとめる苦労が大きかったとも思う。

 ただ古くなると読めなくなる。読めなければ誰も関心をしめさなくなることは確かだ。A氏の存在は貴重だ。