まだ中3の子が行方不明だという能登半島。今日9月24日の午後4時の段階で7人の死亡7人の不明だという。ニュースの映像を見ていると、家の中が泥だらけ、今年の1月1日に大地震、そして同じ場所で水害。住民は踏んだり蹴ったりだ。
昨年、昭和58年の美濃加茂の水害の話を調べに行った時の被害にあったお寺の老住職の言葉が頭に浮かんだ。『泥との闘い』だ。昭和58年9月28日、木曽川の洪水で美濃加茂の太田宿が水害にあった。知り合いのお母さんが「太田橋の上からバケツで水が汲める」と言っていたという。
この日、美濃加茂で大水害が起こった数時間前に瀬戸でも水害が起きている。今村(效範)地域の西側の尾張旭との境で北側の根之鼻からあたりから南の瀬戸川に向けて濁流が流れた。東三郷交差点から住宅地を抜けていった。尾張の東部では、温帯低気圧に変わった台風は、下校中の小中学生を襲い5名の命を奪っている。忘れてはいけない。