郷土史を調べている方を講師に迎えて様々な話が聞けた。知識の豊富さに驚かされた。地域に生まれ地域で育って来た中で、先人から伝えられた歴史を歩きながら検証してきた。知識の豊富さがすごい。一部だけ紹介したい。
この日彼は、今村地区の西半分の説明をしてくれた。昔の川西嶋になる。北にある山(根の鼻)から南にかけて標高が下がっていく。瀬戸川沿いの地域は田んぼになる。標高の高い位置にため池が何箇所かつくられている。標高の高い根の鼻は河岸段丘上の丘になる。その段丘上を中馬街道(旧瀬戸街道)が、名鉄瀬戸線が東西に走っている。
明治24年の濃尾地震を記した石碑が治水碑だった。よく見れば石碑名に治水碑と書かれている。濃尾地震で瀬戸の窯は全て壊れてしまった、これは大変な地震だったと勝手に解釈していたが、今村では水害だった。北の段丘上のいくつもあった大きなため池が決壊して大きな被害が出たのだろう。ため池が二度と決壊しないように工事したその碑なんだろう。地域の人にとって震災ではなく水害だった。
いくつもあったため池はもう残っていない。埋め立てて住宅地や学校にしている。昭和58年におきた西山から川北・川西にかけて大水が出た。昔から水が流れてくることは自然なんだろう。先人は理解していても、後から入ってきた自分たちは気づいていない。
今後の課題として、彼の調べてきた郷土をどのように次世代に繋いでいくかだ。言葉だけでは、「〇〇だげ〜な」という伝承になってしまいかねない。講師の先生の内容をもとに、色々な方が知っている知識を寄せ合って、文章化することが必要になるだろ。