setokouchanの日記

とうとう72歳、今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記&記録として毎日記事を書いています。

2025-02-01から1ヶ月間の記事一覧

安城市歴史博物館『地震と災難』20 三河地震②

一 昨年9月、ニュースで三河地震のことを知りすぐに震源地である幸田町に飛んでいった。深溝断層だ。その後妙喜寺へ。予備知識もないまま向かった。 西尾の妙喜寺の地割れを見て、和尚さんにも話を聞くことができた。地割れの部分を覆うように小屋を作って…

今日のショック

ネコのエサ。ホームセンターで購入。同じ店で購入しているが、昨年経営母体が変わり、値段は上がるだろうと思ってはいた。今日、行ってビックリ。そしてショック。 前回来店したときは、16袋税込み1000円少し、今日も同じ値段。ただ大きな違いは12袋だった。…

連休前にお医者さんへ

のどが痛い、若い頃はのどが痛いと熱が上がった。年をとって思ったこと。熱が上がらない。頭も痛いし、筋肉がきしむ。インフルエンザかとも考えたが、肝心な熱が出ない。連休前の22日に医者へ行った。こういう患者は医者も困るだろう。 『イソジン出しましょ…

バカは風邪を引かない?

この頃地震だ戦争だと真面目に記事にする。女房殿は『知恵熱だわぁ』といつも一蹴する。でも案外当たっているのかも。普段読まない資料を読みながら、文を考えている。バカでも風邪を引いてしまった。今日明日はチョット休憩します。

PHEV 半田市図書館&雁宿公園へ

2月18日(火)瀬戸から南へ南へ走った。大府の道の駅『元気の郷』を経由して半田市へ。今回は国道302を走った。途中、阿久比の三菱がある。充電をしたくて寄ったが、先客がいたので諦め通過する。 半田の図書館は博物館が併設されていた。まず博物館を見学。…

昭和東南海地震と学徒動員② 豊橋高女

ピース愛知で手に入れた『語り継ぐ私の戦争体験』第2集に『私の体験 東南海地震・三河地震』の体験談が載っていた。この冊子は2014年に発行されたもので2011年に東日本大震災が発生し多くの被害を出したばかりで、戦時中に起きた東南海・三河の2つの地震を忘…

安城歴史博物館『地震と災難』19 三河地震①

19年12月の昭和東南海地震の一月後の昭和20年1月13日午前3時38分に深溝断層や横須賀断層で発生した。冊子には『幡豆郡・宝飯郡・碧海郡で大きな被害を出し、断層付近では特に著しく差があった』とある。 冊子にまとめられている町村別の被害表を見ると、隣の…

昭和東南海地震と学徒動員①ピースあいち

昭和19年12月7日の午後1時半過ぎに昭和東南海地震が発生。愛知県で一番大きな被害を出したのが半田市だ。中島飛行機半田製作所の倒壊による圧死者だ。その中に豊橋から学徒動員でやって来た生徒がいた。 上の表は名古屋大学が調べた死者の内訳だ。豊橋高等女…

安城市歴史博物館『地震と災難』18 昭和東南海地震③

昭和19年(1944年)12月7日の昼過ぎに発生した昭和東南海地震、一月後に起きる三河地震と同様に戦争中のため報道管制が敷かれた。調査もほとんどされなかった。安城の博物館は少ない史料を探してまとめていた。地震の翌日午後4時には軍隊や警防団が出動し県…

天知茂さんと瀬戸

毎週木曜日は、公園内の集会所で町内の方々と会って、世間話やグランドゴルフなどをして楽しむ。80歳前後の方が多い。70歳の自分はまだ若者の部類だ。誰かが置いていったのか、集会所前でかわいいウサギが迎えてくれた。 残念ながら今日(13日)は風が強く屋…

安城市歴史博物館『地震と災難』17 昭和東南海地震②

安城市歴史博物館の特別展『地震と災難』は、戦国時代から昭和の三河地震までが研究対象だった。愛知県でこの地震で亡くなったのは438人。そのうち碧海郡(今の碧南・刈谷・安城・知立・高浜など)が20人、幡豆郡(今の西尾市、昔の西尾、一色、幡豆、吉良)…

安城市歴史博物館『地震と災難』16  昭和東南海地震①

特別展『地震と震災』では戦時中の震災として昭和東南海地震と三河地震が取り上げていた。冊子は戦争時中だったため報道管制で秘密にされていた地震だがそのことにはあまり触れていない。 昭和東南海地震は、昭和19(1944)年12月7日午後1時36分に紀伊半島沖…

安城市歴史博物館『地震と災難』その15 関東大震災

安城市歴史博物館の特別展『地震と災難』はいろいろなことを教えてくれた。学芸員さんたちが足を運び多くの史料を集めていた。冊子を読んでいると地震の怖さがよくわかる。特別展は1月で終わってしまったが、内容を自分なりに書き出している。 『大正12年(1…

濃尾地震生き証人の記録⑥瀬戸その4

濃尾地震は明治24年に起きた巨大地震だ。愛知県が昭和54年にまとめた『濃尾地震生き証人の記録』に瀬戸の方の体験談が載っていた。加藤〇〇さんは、瀬戸川沿いに住んでいた。 『・・・電気ははじめからなく、あんどんをつけ、ローソクであったので(役場はラ…

濃尾地震生き証人の記録⑤瀬戸その3

濃尾地震は明治24年に起きた巨大地震だ。愛知県が昭和54年にまとめた『濃尾地震生き証人の記録』に瀬戸の方の体験談が載っていた。加藤〇〇さんは、瀬戸川沿いに住んでいた。 『・・・土手の中で約半ヶ月、寝たり生活をした。井戸の中のどかんが全部ひしゃけ…

濃尾地震生き証人の記録④瀬戸その2

濃尾地震は明治24年に起きた巨大地震だ。愛知県が昭和54年にまとめた『濃尾地震生き証人の記録』に瀬戸の方の体験談が載っていた。加藤〇〇さんは、瀬戸川沿いに住んでいた。 加藤〇〇(女性) 『当時、自宅は米屋をしていた。〇〇は二女(十一才)、姉と妹二…

高い位置から

今日は、今年最強の寒波ということで時々雪が舞っている。 尾張旭のスカイワードあさひの展望室へ。展望室の高さは55mとなっている。写真は2年前の雲のない日に撮ったタワーだ。 展望室では東西南北360度見ることが出る。50mの高さから南側を見ると、タワー…

濃尾地震の生き証人の記録③瀬戸その1

愛知県は、昭和54年に『濃尾地震生き証人の記録』をまとめていた。前文には、 『・・・濃尾地震はわが国、内陸で起った最大の地震で、その規模M8.4とされて いる。震源地方は数年前から地震活動が次第に増し、濃尾地震の3日前には震度4の前震が2回も記録…

濃尾地震生き証人の記録②ため池の崩壊

濃尾地震は死者7880人(うち愛知県2638人)、負傷者は21329人(愛知県7705人)、住家全壊93421戸(愛知県39093戸)、家屋消失7669棟(愛知県210棟)と大きな被害をもたらせた。揖斐川上流の根尾谷断層が動いた地震であるため岐阜県での被害が大きいが、愛知…

濃尾地震生き証人の記録①

自分が濃尾地震に関心を持ち始めたきっかけは瀬戸の平町公園にある石碑だった。石碑の題は『治水碑』だった。字面は地震とは結びついていなかったが、碑文には烈震の文字が彫られていたので濃尾地震の碑と気づいた。学生時代、根尾谷断層を見に行った記憶が…

安城市歴史博物館『地震と災難』14 濃尾地震①

1874年の地震観測開始以降最大の規模の濃尾地震。『明治24(1891)年10月28日に発生し、岐阜県と愛知県を中心に大きな被害をもたらせた』『国内で発生した断層地震のうち最大の地震で・・・マグニチュード8.0で震源は福井県境から岐阜県本巣市にかけての温見…

安城市歴史博物館『地震と災難』13 安政江戸地震と文久西尾地震

1854年11月4・5日に連続して安政東海地震、安政南海地震が発生し伊豆半島から西で大きな被害が出た。その次の年(1855年)「11月11日『夜四ツ時(午後9時半頃)・・・江戸市中を中心に関東一帯に被害をもたらした直下型地震」である安政江戸地震。「震源は江…