先日美濃加茂の伊深にある美濃33観音の26番の清水寺で紹介した丁度よいの詩は、石川県の大谷派常讃寺の住職の奥様 藤場美津路さんが、30年程前に書かれたものだった。後悔ばかりしてきた自分の生き方を考えさせられた。
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
清水寺の文章は若干違いましたごが、地域の方か訪れた方が納経のかわりに納められものと思われる。清水寺に足を運ばれて、書かれた方の気持ちを想像しながら声を出して読んでほしい。
自分を含め目先の利益のみにとらわれて行動してしまう。もう一度見つめ直したい。