12月7日の4番目のお寺は、崇福寺だ。美江寺から北へ、町中だがあまり目立たないお寺だ。駐車場は、道に面して10台ほどとまれる。
美濃33観音 神護山崇福寺
臨済宗妙心寺派のこのお寺には早速『去ったとて、年と運とは巡り来る』という言葉が。
きれいに庭が手入れされている。本堂には、織田信長に関わる様々な史料が展示されていて、内容もわかりやすくアナウンスされている。信長が斎藤氏を倒し岐阜に入って、崇福寺を菩提寺にした。信長が倒れたあと彼の遺品がこのお寺に納められている。
血の天井なるものまである。信長公の孫秀信が関ヶ原の戦いで東軍の猛撃にあい岐阜城が落城、この時戦死した将兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板を、本堂の天井に張られたもの。
本堂裏には、信長と息子の信忠の位牌が収められた織田信長父子廟がある。
その2につづく