豊橋の市電は廃止ではなく、時代とともに路線が延びた数少ない路面電車だろう。確かに廃止された部分もある。戦前、戦中は兵隊を運ぶためなのか、柳生橋駅からの線路がなくなった。柳生橋とは、愛大の豊橋校舎近くだ。ここには、第15師団があった。豊橋公園(吉田城跡)には第18 連隊があった。さらに東に進むと坂上・東田になり遊廓に続く。軍人のための交通手段ではなく、赤岩口や運動公園前まで延長され、今では市民のための交通手段になっている。
自分が子どもの頃は、坂上から東雲通りに引込線があり市電の車庫があった。我が家からすぐ近かったので、兄たちは市電の洗車のアルバイトをしていた。その後、バスの車庫になり、洗車のバイトになる。中学生でも当たり前のように働いていた。
中3から高校に入った頃、バスの添乗員のバイトがあり、夜中に豊川のタイヤ工場の夜勤の工員を新城の奥までついていった。真夜中の山道(昔は国道でもかなり狭い道だった)をヘッドライト頼りに走った。助手席にいる自分から見るとカーブでは崖からはみ出ていて、初めは怖かったことを覚えている。
この市電・豊鉄バスの車庫だったこの地は、スギ薬局に変わっていた。
写真の市電に描かれているブラックサンダーは、豊橋の会社だ。電車通りと国道1号線の分岐点から東へ10kmほど行った東海道二川宿のさらに東にある有楽製菓という会社だ。 豊橋夢工場 直営店に行くと、ここでしか買えないものや北海道や京都などの地域限定のブラックサンダーもあるようだ。
ホームページから写真をいただきました。