setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

豊橋 歴史民俗資料収蔵室⑤

 ここの資料館(収蔵室)には、どちらかいうと農具や漁具、養蚕業、紡績などの専門的な物が多い。懐かしく感じる昭和の生活関連のものは少ない。

 木造校舎内の教室の一角に、昭和30年代の茶の間というコーナーにちゃぶ台が置いてある。ちゃぶ台返しなんて実際にはなかったと思う。ちゃぶ台の脚は折れ曲がるようになっていて、使わないときは畳まれて部屋の隅に。ちゃぶ台の上のご飯やおかずにハエがたからないように防止するものだ。名前がはっきり思い出せないが、ハエチョウ?なのか。

 昭和30年代まではハエは嫌になるほど多かった。ぽっとん便所がなくなるまでは生活の一部でもあった。田舎に行くと牛を買っている家も多く、渥美の祖父の葬式に行った時、ちらし寿司にハエがたかっているのを見て嫌だったことを思い出す。それも一匹や二匹の世界ではない。祖父の顔は殆ど覚えていないが、ハエだけは記憶に刷り込まれてしまった。


 

 左下の写真はお釜だ。クドにスポンと収まるようにできている。自分の家には低学年の頃まであったと思う。プロパンガスが入るようになるとクドは無用の長物になる。いつの間にか無くなっていた。

 右下のツボが分かる人はあまりいないのでは。厚めのツボだ。自分もすっかり忘れていて、こっそりと中を除いてみた。炭が入っていた。そうなんだ、火消し壺なんだ。七輪は最近の人知っているだろう。自分も七輪と火消し壺を購入した。自宅でバーベキューをするために買ったのだ。ついでにステンレス製の火消し壺も。

 昭和の時代、火鉢には五徳の上にヤカンがのっていていつもチンチン音を立てていた。スルメを焼く。干し芋も五徳の上で焼かれる。七輪ではイワシやサンマが焼かれる。炭火が活躍していた。そんな時代、陶器製の火消し壺が活躍していた。特に七輪の残り火を消すために使われた。火消し壺の中の燃え残りは次の日の火を起こすときに活躍する。

 火鉢があった時代は、寒い日は外から帰ってくると火鉢にまたいで座る。股火鉢だ。しばらくその姿勢でいるとおしりから体が熱くなってくる。気持ちが良かった。

 火鉢の炭火は火のたちが弱いとふうふうと息を吹きかける。すると炭火は炎を上げ始めぱちんと勢いよく火の粉を飛ばす。強すぎると灰をかけおとなしくさせる。寝る前に灰をかけておくと自然に消えていく。ときには朝まで火が僅かに残っているとそれが熾火(おきび)となり、炭を足すと復活する。