setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言292 豊川海軍工廠(その2)

 この平和公園の資料館では、1日4回、語り部による説明が聞ける。語り部の方がどういう方かはわからないが、生き残ってきた方だと想像すると、自分の母親より少し若い年代だ。90代だろう。終戦の年には国民学校高等科の子どもたちも動員されたというから12歳から15歳の児童たちもいたのだろう。それでも90近い。高齢の方から直接話を聞く勇気が出なかった。

 豊川海軍工廠について殆ど知識がない。まず、展示物だけは先に見て、そして資料を集めめようと。

 見学して、想像以上の悲惨な事実がわかった。死んでいるのは若者、しかも徴兵で兵隊に行った男ではなく、15歳から20歳の女性、さらには小学校高等科以上、12歳から15歳の子どもたちまで死んでいる。昭和20年の敗戦の年には子供も動員されていてここ軍需工場で働かされていたのだ。しかも作っていたのは砲弾。火薬を使っていた。その工場が空襲された。海軍工廠を守るための高射砲は124機のB29にはかすりもしなかった。

 自分の母校の豊橋東高校の前身、豊橋高等女学校の先輩方がたくさんいた。