品野の全宝寺から、今は瀬戸キャニオン(粘土鉱山)になっているため痕跡すらないが、陣屋に抜けてくる。そして追分となる。中馬街道は瀬戸村の西で旧瀬戸街道と追分で交差する。今の瀬戸市役所や陶生病院の間で斜めに交差した場所が追分だ。
瀬戸街道は川の南に新しい道になるが、旧瀬戸街道は瀬戸と高蔵寺を結ぶ道、日本で最初に省営バスが走った道なのだ。今は国道155号線として重要な道。追分を西に進むと名鉄瀬戸線の踏切がある。その手前に省営バスの追分駅があった。JR東海バスの駅&車庫になり、20年前に撤退したため今はもうない。広い敷地は回転寿司や喫茶店などに変身した。
通勤時間帯は、交通量が多く遮断器が降りるのが多くて渋滞発生場所として有名な場所だ。昔も今も同じだったんだろう。
中馬街道は、信号待ちをしている黄色い車のいる狭い道に入っていく。
見づらいだろうが、昭和47年の住宅地図だ。右下が市役所。その北側が追分。左上の三角地帯が国鉄追分になる。この時期にはないがパチンコ屋さんの横(国鉄の左下)、名鉄に沿って西に向かう。