setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言335 中馬街道 鶴里町誌

 先日、中馬街道を東に走った。といっても国道363をドライブして明智の太正村へ。曾木や吉良見など馬子唄に出てくる土地を通った。大正村からの帰り、鶴里で公民館になんとなく中馬街道という文字があったような気がした。

 1週間して、確認してみようと走った。

 足助の中馬館に行こうと調べていたら木曜日は休みなんだって。三好の三菱で我が愛車のPHEVの充電中わかったのだ。三好を通って挙母(豊田)・足助に向かう飯田街道(本来の中馬街道)を通って足助を狙ったのだがいつものようにすぐ撃沈した。豊田の四郷から北上して柿野方面に変更。期待せずに鶴里の公民館へ。

 土岐市の最新の市役所でも何の情報も得る事ができなかったのだ。公民館は土岐市鶴里の支所だった。公民館が併設されていたのだ。多分、鶴里町の元庁舎だったんだろう。1人の方しかみえなかった。中馬街道についてまとめられているものはないでしょうかと聞くと、なんと出るは出るはお宝の山が。20年ほど前に鶴里町が土岐市編入する前にまとめられたんだろう。鶴里町史だ。その中に中馬街道を現在の地図に昔の街道を描き込んだ地図が何枚も有るのだ。買うこともできなければコピーもできない。写真だけは許してもらった。会議用の机を独占して過ぎていく時間を気にしながら拝見させてもらった。

 本当によく調べられているのに驚かされた。

 山なみ遥か歴史の道、中馬の里という美しい名前がつけられた町誌だ。編集者の名簿を見ると瀬戸の方も協力されている。懐かしい名前も何人かいた。鶴里は瀬戸と地続きで深い関係があったんだろう。