瀬戸には記念橋駅なるわけのわからない駅が川沿いにあった。もうないが追分駅もかつてあった。品野駅という名前も昔は残っていた。
みな、バスの駅なのだ。自分が瀬戸に来たときはJRバスの停留所。なぜか駅という名前が。さらに記念橋という名前まで誇らしげについている。記念橋駅は、川沿いの三角地にぽつんと木造の建物があるだけ。しかしここの切符売り場ではJRの電車の券も購入できた。新幹線も含めて全国JRのどこに行くにしても並ばずに、お客さんが少ないからというわけだが、さっさと券の購入が可能な希少な駅なのだ。周遊券も買えた気がする。
調べていくととんでもない理由があったのだ。日本で一番最初という記念(2024年2月3日訂正)なのだ。しかもその中心にあるのが記念橋駅だった。(追記:実はこれ以前に瀬戸川には記念橋という小さな木橋があったようだ。間違えて覚えていた。)
自分が瀬戸の来たときはJRバスが路線を走っていた。名鉄バスは名古屋駅から瀬港線を通って瀬戸駅前や菱野団地に来る路線が中心だったが、JRが撤退して名鉄バスばかりになった。40年前は記念橋駅から青と白のJRバスが、名古屋、岡崎、品野を通って多治見や土岐方面(品野駅分岐)にも走っていたはずだ。赤津を通って飯野(藤岡)方面まで走っていたのはJRだったかどうか覚えがない。自分が子供の頃はJRではなく国鉄という国営のバス会社だった。ツバメがマークになっていた。
国鉄バスの前身は省営バスだった。国鉄はやがて分割民営化される。JRだ。
その省営バスがリニア・鉄道館に展示してある。しかも企画展としてこの3月から『国鉄バス第1号車のすべて』〜岡多線(岡崎−多治見 瀬戸−高蔵寺)を走った乗合自動車が開催されている。見に行かない手はない。
東海道本線のある岡崎と中央本線のある多治見とを結ぶ重要な位置にあったのが瀬戸だった。名古屋を経由するよりも岡崎から美濃、信州は近い。瀬戸を経由して高蔵寺、多治見から中央本線で中津川や飯田の信州方面につながっていく。この路線では、旅客だけでなくトラック便で荷物も運ばれた。将来的には鉄道にする予定があり、岡多線と呼ばれていた。岡多線という鉄道はできなかったが、愛知環状鉄道(愛環)が岡崎〜瀬戸〜高蔵寺間を走っている。