setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言396 瀬戸でおきた過去の水害⑤昭和58年9.28豪雨災害 その2

 昭和58年9.28豪雨災害は瀬戸でもとんでもない悲劇があった。自分が瀬戸に来て5年後だ。27日から28日にかけて降った豪雨は、昼にはやみ小中学校は下校時間帯となった。瀬戸のある学校でも子どもたちが今朝さしてきた傘を手に持ち下校していった。正門に向かう途中に少し大きめな側溝があり、まだ水かさがあった。5年生の男児が興味で持っていた傘を流れに入れて遊んでしまった。もうその時間には水かさはかなり減っていた。そのうちに足がつくかやってみようと足を入れてしまった。コンクリートで固められた側溝は滑りやすかったのだろう。そのまま流された。午後3時半過ぎだ。

その事故の40分前には、名古屋市昭和区で雨で浸水した5年生の男児が幅45㌢深さ50㌢の側溝で流された。3時50分ころには、名東区で中3の女生徒が川のようになった路上で転び流された。道路は1mも水が流れていた。助けに入った警官まで流されたが車につかまって助かった。さらに4時頃同じ名東区で1年生の男児が、父親と冠水状態の様子を見に行って行方不明になる。5時すぎには守山区でかんがい用水で5歳の園児が用水近くを歩くうちに水に足を取られた。

 午後の3時間で尾張東部では5人もの児童生徒が水に流され亡くなった。しかもたいして大きくない側溝でだ。自分は瀬戸の児童の事故は知っていた。同じように流された児童生徒は10kmの半径の円に入る地域内でおきた事故だった。水は牙を剥くと非常に危険だ。

 昨日(7月21日)に3人の6年生の女児が川で遊んでいて深みにはまって亡くなった。夏休みは始まったばかりだ。子供の事故は悲しい。