setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言363 瀬戸でおきた過去の水害④

  伊勢湾台風を忘れてはいけない。尾張の伊勢湾岸に甚大な被害が出たスーパー台風だ。昭和34年のことだ。32年の泉町の災害が大きかったのであまり伝えられなかったのか?それなりに大きな被害があったようだ。

 自分は豊橋生まれ、伊勢湾台風は小学1年生、怖かったことは覚えている。テレビはまだない時代、トランジスタラジオから流れてくる実況で緊迫した状況が分かった。

 大きな台風だと情報が入ると、母親と姉が手荷物をまとめ、父親と兄が窓を全て戸板を打ちつける。停電は台風のつきもの。ロウソクが照明となる。家族5人がロウソクの周りでじっと夜が明けるのを待つ。懐中電灯もあったが電池がもったいない。昔の家なので風通しがいい、ロウソクの炎がゆれる。風向きもわかるのだ。台風の中心が過ぎると炎の流れる向きが変わる。それで一安心する。

 自分は昭和53年に瀬戸に来た。瀬戸に来て台風の脅威をあまり感じない。

伊勢湾台風って、一里塚川が冠水して末広商店街に水がついた。被害はあまりなかったと聞いていた。泉町のインパクトが強いのだろう。調べてみると瀬戸では、重傷者3名、軽傷91名、全壊家屋215戸、半壊527戸、工場の全壊468戸、道路河川の決壊20ケ所、20もの小中学校で被害があった。深川小学校では裁縫室の天井板が飛散、理科準備室の壁が倒壊、校舎の屋根瓦の4割ほどが飛散、1200枚ものガラスが割れたと記録されている。

 CBCテレビ制作の1959年の伊勢湾台風のニュース映像をカラー化した動画を見た。被害が一番大きかった名古屋の南区が中心に映像だ。自分が思っていたよりはるかに怖い台風だった。情報番組チャントで2年前の9月26日に流された映像だ。

 伊勢湾台風60年

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