2日の豊橋の水害、(叱られてしまうが)下条はもともと水害が多い地域だった。豊川放水路ができて川の水のコントロールができるようになった。昭和40年からはあまり水害の話を聞かなくなった。放水路ができる前の中学時代は、旭、東田、牛川、下条の小学校の4校区の生徒が青陵中学校に来ていた。梅雨から台風時になって、授業中に大雨が降ると下条の生徒は先に下校していた覚えがある。
下条という地名は川沿いの低い土地の場合が多いように思う。多分昔から言い伝えられてきたはずだ。放水路が機能しても想定以上の大水が出てしまい対応できなかったんだろう。
近年、川沿いの低地に家を建てる人、建売を購入する人が増えた。東海豪雨で庄内川の水が溢れて大被害を出した。守山区にマンションを購入した人が、購入前業者から、危険性は何ら説明がなかったようだ。彼の車は廃車にならざるを得なかった。庄内川と矢田川に挟まれた土地で直ぐ西で合流する場所だった。
災害が起こりやすい場所は、その地域で代々伝えられてきた話が残っている。また地名として残っている場所も少なくない。(行政が昔ながらの名前を嫌い変更してしまうこともあるかもしれないが)
昭和から平成にかけて造られた排水路は1時間50mmの雨量が基準だと聞いた覚えがある。1時間に100mmという雨量が観測されることが度々起こるようになった。よその出来事ではなくなっていく。
牛川の渡し舟も流されたと聞く。早く完全に復旧してほしい。