おなじみフウテンの寅さんだ。国民的映画だ。『私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を・・・』の口上は嫌というほど頭に刷り込まれた昭和生まれの人が多かった。このポスターが映画寅さん(男はつらいよ)シリーズの第1作だ。昭和44年に公開された全49作もの映画が制作された。笑顔が多い寅さんだが第1作目はこんなに真剣な目をしていたんだ。
自分自身はあまり映画は見てこなかった。高校・大学と勉強はあまりせずバイトばかりしていた。寅さんシリーズはテレビかレンタルビデオでしかみていない。レンタルビデオ屋は瀬戸にはなく、藤が丘の小さな店に借りに行っていた。1本1000円以上していたのではないだろうか。1日とか2泊3日とかで値段が違い、しかも延滞料が馬鹿にならなかった。多分レンタル業の始まりのころだ。映画業界とは軋轢があったんだろう。ビデオはDVDではなく、テープの時代。しかも自分はベータ派だったので数が少なかった。懐かしい思い出だ。
勝新太郎は任侠映画や座頭市で一躍有名になった。勝新太郎と豊橋との関係で知っておかないといけないのは、豊橋出身の大スター松平健さんは、勝さんの弟子だった。暴れん坊将軍は座頭市が先生だったのだ。松平健さんは自分の卒業した豊橋市立旭小学校の1年下の後輩だ。同じ町内だったので通学班で手を繋いで陸軍墓地の通学路を歩いていたんだろう。