9月11日は9.11同時多発テロがありニューヨークのタワービルがハイジャックされた旅客機が突っ込んだ日。その後崩れるのにさらにショックを覚えた。2001年の話だ。その1年前の2000年は東海豪雨だ。庄内川沿いで大きな被害を出した水害だ。平成の時代にあった大きな災害だが、自分の記事はまだ昭和の災害ばかりになる。
美濃加茂の被災が大きくまだ当時の水害の跡が残っている。40年前だから当時の住人にも会って話が聞けるはずだ。前記事で『泥との闘いだ』と言われた祐泉寺の住職の話。祐泉寺は臨済宗妙心寺派、色々な言葉が書いてある。本堂では話を聞くだけで精一杯だった。街道沿いの入り口に秋彼岸に向けての言葉が書かれていた。
書かれていた言葉は
どんな死に方をしよう どんな死に方がいい なくなるときは
大いなるものに お任せしよう 九月二十日〜二十六日 秋彼岸
今年は夏が長そうだ。彼岸花は咲いてくれるんだろうか。
街道を歩きながら、水害跡を探すがなかなか見つからない。水害は40年前だ、木造建築だから必ず痕跡はあるはずだがみつからない。隣の家を壊したので境目の土壁がむき出しになっている家を見た。白い線が残っている。もしかすると思い客でもないのに隣の鰻屋さんへ。当時のことを覚えていて少なくとも180cmは水が浸かったと言われた。店は建て替えざるを得なかったとの話をしてくれた。隣の家の白い線はわからないとのこと。
木曽川沿いの太田宿。何度も水害にあっているんだろう。避難指示は暗くなってからだったが、亡くなられた方は逃げ遅れた1人だけだったという。人々の水害への意識が高く、そして迅速に舟を出して消防団の方々が家々を回ったことが大きいんだろう。屋根に穴を開けて助け出された人も少なくなかったようだ。