三河地震の痕跡を見に豊橋からの帰りに西尾市に寄る。断層跡も残っているが、今日は妙喜寺へ。ここには、地面のひび割れが残されている。
とんでもないことだが、この地震は当時ほとんど報道されなかった。この地域では2400名の死者、1000人もの行方不明者。
妙喜寺の住職さんがそのひび割れを見せてくれた。地面が割れている。ここの地割れは、お寺さんが単独で保存している。行政に要請しても支援はないとこぼしてみえた。西尾の深溝(ふこうず)地域に行くと断層が確認できるようだ。深溝断層だ。
住職さんは昭和18年生まれ。自分は27年生まれだ。瀬戸でも同じだが、過去の災害を記憶している人と、行政を今推し進めている年代は自分たちよりも二回り以上若い。彼らにとっては過去の出来事でしかないのだろう。自分は戦後生まれだ、戦争なんて何も知らないのと同じだ。自分は知らないから知っている人に聞きながら調べている。
伝えないといけないことは、年寄りがでしゃばらないといけないことも多いんだろう。