setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言266 中馬街道を歩く会(その1)

 3月19日(日)朝から、品野で中馬街道を歩く会があり参加した。30人近くの参加者があった。皆さん本当に元気がいい。

 中馬街道は、名古屋と飯田を結ぶ江戸時代の物資の運送路だ。足助を通って飯田に上るコースも中馬街道として知られている。飯田街道とか信州街道と呼ばれる街道だ。2つの街道は稲武の奥で合流する。一人の馬子が2・3頭の馬を使って中継点まで運び、荷物を次の馬と馬子に託す。

 職場が品野にあったこともあり知人も多い。品野のバスセンターから名鉄バスに乗り、上品野まで向かう。祥雲寺が中馬街道のスタート地点となる。祥雲寺は、我が家の義父母の月命日に時々見える若い住職が副住職をしているお寺だ。彼は、宝泉寺で修業をしている身でもある。彼も今日は参加していた。

 中馬街道をもとに現在の国道363号線がつくられた。街道と名がつくと道幅が広いイメージを持ちがちだが、自動車のないころは馬一頭が通れればいい。だから山越えや尾根筋をたどる道が多い。

 祥雲寺で、若い副住職から祥雲寺について話を聞いた。江戸時代末期、品野で寺小屋がこの祥雲寺で行われ、明治に入り最初の学校が開かれたとのこと。その後、下品野に移転する。それまでは教育の重要なポストをこの祥雲寺が担っていた。

   尾根沿いの道(坂瀬の坂)をおりてくると上品野村里になる。重い荷物を背負い急坂を上り下りするため、馬が無理をして死ぬことも少なくない。上品野に下りてくると馬子たちがホッとする平坦な道になる。そして上品野、中品野、下品野と下っていく。馬は、途中馬子が中品野で休憩しても次の中継所までチャント勝手に行く。馬は賢い。馬頭観音が祀られるのは当たり前だろう。

 年寄りの自分にとって、上品野から下品野までのコースは平坦で歩くことができた。