豊橋公園を歩いていると、目立たない場所に碑があった。。昭和41年7月12日に4名の警察官が殉職したとある。聞き慣れない言葉『界雷豪雨』とある。昭和41年といえば自分が青陵中学2年生のときだ。確か、朝倉川が増水して人が流されて、何日も舟で探していたことは記憶にある。
界雷という言葉は知らなかった。どうも前線により発生した積乱雲内で起こる現象のようだ。
この出来事は、朝倉川沿いで雷とともに豪雨が災害を引き起こした。朝倉川が氾濫を起こし住民が孤立した。舟で助けに行った5人の警察官が住人5人を助けたものの、舟が橋脚に激突した。濁流に飲み込まれ4人の警察官・住人5人が行方不明となった。ということは9人もの人が朝倉川で亡くなったのか。
朝倉川は上を通す形で牟呂用水が交差する。境橋、通称ダーダー橋と呼ばれるところだろう。
朝倉川は、友人とよく遊びに行った。草が生えている下をタモでかき混ぜると魚などの生き物が入ってくる。遊び場所の一つだった。自分たちの遊び場は、時には全く違う顔を見せる。