setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

第5回せと歴史探訪講座 ⑤(オリンピックのサッカーで日本人最初のゴールは瀬戸の人だった)

 武藤氏の講座で分かったこと。戦前に瀬戸出身のサッカーの名プレーヤーがいたと言う。子供のころ自分が知っているサッカーというと、釜本さんや杉山さんだ。

 末広商店街の南の一里塚川にかかる蛭子橋(えびすばし)から東南を眺めた昭和10年ころの写真だ。この写真に写る煙突の何本かは明治10年に創業された『川惣製陶所』という洋食器メーカーだ。現在も、蛭子町から東本町にかけて、本社は大阪に移っているが、社名に『カワソー』の文字が入っている会社がある。

  

 1936年に開催されたベルリンオリンピックといえば、水泳平泳ぎ200mで前畑秀子が金メダルをとったオリンピックだ。川惣製陶所の息子さんかお孫さんになるのか『川本泰三』氏が、サッカー選手として参加した。武藤氏いわく、泰三氏が何と1回戦のスウェーデン戦で日本人最初のサッカーのゴールを挙げた人だという。彼は戦後もサッカーを続け、カワソーの社長をしながらサッカーの指導者サッカーとして活躍した。

 蛭子橋は瀬戸の南新谷(東・西本町)と宮前や郷を結ぶ一里塚川を渡る重要な橋だった。正面の煙突と建物は数十年も前に廃業した銭湯『蛭子湯』だ。瀬戸に来た頃の自分がお世話になっていた。三階建ての建物がまだ残っている。伊香保温泉と同じように2階はダンスホールだったのか。当時を知っている人に聞いてみよう。