setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

中馬街道の歴史を歩く会その11(陣屋・安戸の馬頭観音から十三塚へ)

 29名の年寄りを中心とした団体は、ここに来た頃に先頭から最後尾まで長い列となっている。ゆっくりお顔を拝見する余裕はもうなかった。写真だけ撮らせてもらった。

 尾張旭の郷土の研究家の石頭逍遥氏が『瀬戸の馬頭観音』の記事には、『光背には「明治28年8月吉日 加藤作衛門」と刻まれています。馬稼ぎに携わった人が個人的に建立されたもののようです。・・・』この日も馬頭観音には花が飾られていた。お家の方や地域で大切にされていることがよく分かる。

 陣屋・安戸の馬頭観音像の前から南西に進むと、広い道(十三塚線)に出る。逆方向の一方通行の狭い道に入る。追分に抜ける道だが、最近陶生病院前の広い道と繋がったため交通量が多い。陣屋川にかかる橋を渡り川沿いに左に曲がる。(下の写真では自動販売機の奥方向から来て橋を渡って向かって右方向に入る。)

 この小道を奥まで進むと名鉄瀬戸線の線路に出る。面白かったのが線路の下をくぐる橋がかかっていたのだ。背の高い人は電車の車輪が当たるんではないかと心配になる。電車好きにはたまらない撮影スポットだろう。くぐると右手にお堂がある。十三塚地蔵堂だ。

 一里塚は誰しも知っているが、十三塚は何だろう。一里塚は、街道に必要とされた名称だ。しかし十三塚は全く知らない。調べると十三仏なる言葉があり、思ったより多く十三の言葉が残っている。猫が絡んでいる説があるのが面白い。関心のある人は調べてほしい。