setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

第5回歴史講座その1 記念橋を間違えて覚えていた

 2月2日は、5回目の歴史講座だ。講師は瀬戸ミュージアムの前館長の武藤氏。瀬戸で生まれ育った方だ。瀬戸に行くということは、宮前に行くことだと話し始めた。この内容は今後まとめていきたい。

 今回の講座で最大の収穫は、自分は間違えて覚えていたことを教えられたことだ。自分は、瀬戸に来た50年近く前、記念橋駅があった。なぜ記念なの?とは思っていたが、そのまま数十年たった。ちょっと瀬戸の歴史を調べ始め、結論にしたことは『日本最初の省営(国営)バスの基点になった瀬戸のこの場所を記念したから記念橋駅になった』と思い込んで記事にしていた。

 武藤氏は、なんと記念橋というのはその前からあったが、バスが渡れる橋を作ったその名前をつけるのに過去この場所にあった記念橋という名前を用いたというのだ。

 明治33年に後の大正天皇が皇太子時代に瀬戸で行われた軍事演習を視察に来たとき、一里塚川の橋が『記念橋という名前になった。その橋は大正14年の8月の大水で流されている。昭和5年の省営バスが瀬戸川を渡るための新しい橋がつくられ、その記念橋という名前を受け継いだのが正解だという。

 間違って覚えたこと、たぶんまだまだあるんだろう。先輩方の知識、そして専門家の知識を聞きながら、こんがらがった頭の中の知識を組み合わせていこう。