バカ道路に安置されている3体のお地蔵様、親子地蔵だ。磁祖加藤民吉の妻と幼い子供が、民吉に会わせてもらえず最後は雪の中、雨池に身を沈める悲話だ。二人の魂を鎮めるためにこの地蔵は建てられたという。しかし前回も書いたがこの事実はなかった。この地蔵様たちはバカ道路(戦争末期に延焼を防ぐために家を壊した)をつくる時に街角にあったお地蔵様が集められ合祀されたんだろう。
この瀬戸の伝説の最後は雨池(あまいけ)だった。今の祖母懐交差点の東側だ。祖母懐の地に瀬戸町では第3番目につくられた祖母懐小学校が大正5年から昭和40年まであった。雨池を一部埋め立て校舎と運動場を作った。昭和40年に西の秋葉山の上に移転する。
雨池伝説は民吉の妻子の悲話ではなく、鎌倉時代、加藤四郎左衛門景正が諸国をまわって瀬戸の地ですばらしい土を発見し窯を開いためでたい話がふさわしい。昔は「うばがふところ(姥ケ懐)」と呼ばれていたのが現在の地名にかわったと言われる。雨池から東にかけての周辺で主に茶器に最適な土が採れた。一里塚に住む方が祖東中学校の新校舎建設でボーリングをしたところ、地層に多くの細い横穴が何本もあったと話された。昔の陶工たちは地面の中を潜って土を集めたんだろう。
雨池があった祖母懐は、陶祖加藤四郎左衛門景正(別名春慶)が祖母懐土を見つけ窯を開き、そして瀬戸の人々に焼き物づくりを広めていった場所だ。
4月20・21日は陶祖まつりだ