setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言290 陶祖まつりと本業窯1

 15・16日は陶祖まつりが行われる。

 自分が瀬戸に来るまでは、焼き物が陶器と磁器の二種類あることを知らなかった。陶器が土を焼いたもの。磁器は陶石などを砕いたものを白い粘土と一緒に焼いたものだ。器で考えると、厚くて重いのが陶器、薄くて軽いのが磁器だ。

 瀬戸の地で焼き物作りを始めて千年になる。その元になったのが陶祖の『加藤四郎左衛門景正』、通称藤四郎(とうしろう)だ。陶祖まつりを『藤四郎まつり』とも呼ぶ。

 鎌倉時代に藤四郎が瀬戸の地で祖母懐土を発見し窯を開き、陶器の産地として有名になったからだ。ちなみに磁祖は江戸時代(18世紀)に加藤民吉が九州の有田から製法を学んで瀬戸で広めたから、磁祖と呼ばれ、9月のせともの祭に盛大にお祭りが行われている。

 陶器作りは、昔からの焼き方を本業焼きと呼ぶのに対し、磁器は新製焼きと呼ぶ。新生焼きがつくられるようになっても、陶器作りが本業だ。長男があとを継ぎ次男以下は磁器作りに移っていった。

 陶祖まつりには本業窯も見てほしい。本業窯は一里塚と洞の2箇所現存している。写真は、一里塚の本業窯だ。長さが16m、幅が9mととても大きい。山の斜面につくられた窯だ。見る価値が十分ある。

 この窯は4連房の窯だ。かまぼこが4つあると思うと想像がつく。ところがこの窯の元になった半次郎窯は13連房だった。一里塚の祖父6か7代目の半次郎だろうが窯を解体する時、息子たちに窯の材料を使って2つの窯にした。洞の半次郎窯と一里塚の本業窯に生まれ変わった。

 今日は一里塚の本業窯を見てきた。明日は、洞(窯垣の小径がある)の半次郎窯に行ってこようと考えている。その奥の山の斜面に、13連房の窯があったのだ。単純計算で、50mもの長さの窯があったと考えると、火が入っていた頃は壮大だったんだろう。何日ではなく何週間も火を入れていたんだろうと思うとすごいの一言しか出てこない。