setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

瀬戸のお地蔵様(親子地蔵①)

 西本町から東本町に向かう途中に不思議な広い道がある。通称『バカ道路』だ。和菓子屋の宝屋さんから北の深川神社(宮前)に向かう広い道だ。今は道路の中に駐車場ができて不思議さは感じないが、自分が来た頃はただのだだ広い道だった。戦争の末期に延焼を防ぐために家々を壊してきたためにできた空間だった。

 瀬戸のバカ道路(宮川駐車場)の西の歩道、新世紀工芸館を背中にして3体のお地蔵様が祀られている。瀬戸の磁祖加藤民吉の伝説に関係したお地蔵さんだと記されている。

 自分が瀬戸に来た頃(45年前)は自分も含めて皆さん民吉の伝説を信じていた。民吉のお祭りは9月第2土・日、国道を通行禁止にして盛大に行う。40万人以上のお客さんを集める。4月は陶祖まつり、9月は瀬戸物まつり。宮前・バカ道路周辺は人の波であふれかえる。瀬戸川沿いは陶磁器の販売のテントが、バカ道路は露天商のテントが並ぶのだ。大人は瀬戸川沿いの店で出物の焼き物を狙う、子どもはバカ道路でりんご飴やチョコバナナを食べながら射的や輪投げで楽しむ。末広商店街の東にはサメ釣りもあった。

 雨池の伝説

 九州より製磁の秘法を探り、瀬戸 村に帰った民吉をたずねて、見るもあわれな親子連れの旅の女がたどりついた。これは民吉の行方を 探して、はるばる九州から訪ねてきた妻子であった。しかし民吉は瀬戸に家庭をもっており、且又磁器製造の新技術者として、その名 声は益々盛んになっていたので、民吉は自分の体面を保つため、会ってもくれなかった。大いに悲しん だ旅の女は哀れ雨池に身を投げて果てた。この九州妻の悲しみの涙 が雨となって、民吉を偲ぶ「せともの祭り」に降るのだとか。雨池 を埋めて学校を建てた祖母懷小学 校の行事にはよく雨が降るという。(祖母懐小学校開講60周年記念誌より)

 瀬戸の3番目の小学校として祖母懐小学校が建てられたのがこの雨池の前だ。

 瀬戸の名勝として有名だったんだろう。南北150m、東西200mもの大きな池で西側には柳の並木があったという。池の畔には、うなぎ専門店「喜松亭」やかき氷店が2店もあった。今の祖母懐の交差点にこの池はあり、祖母懐小学校は山の上に移転していく。この交差点の北に昔あった祖母懐湯で一日の汗を流し、浴衣着姿の人々が集まって、縁台を並べ将棋や碁などをしながら涼んだ場所でもある。瀬戸ではボートが浮かび市民の憩の場所だった。

 この伝説、普通に信じられていたように思う。しかしこの説は否定されている。江戸時代でも互いに納得の上に磁器製造方法が伝えられたことが常識となっている。否定はされているが、今でも親子地蔵として悲劇は語り継がれているんだろう。

 この雨池の横を北東に進むと郷を通って洞に抜ける。