setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

品野の歴史を歩く会② 瀬戸電が品野に

 浄源寺を出て、愛知環状道路の下を抜けると右手の藪の中に石碑がある。教えてもらわないと誰も分からない草の中だ。

 『瀨戸電気鐵 』まで読める。『瀬戸電気鉄道』だ。昭和生まれの人間には懐かしい瀬戸電だ。1905年(明治38年)にできた瀬戸自動鉄道からあくる年に瀬戸電気鉄道に社名を変えて尾張瀬戸から大曽根の間を走り、その後名古屋城のお堀の中を通って堀川まで延伸した。瀬戸の陶磁器産業の屋台骨を担った。堀川から燃料や原料を瀬戸に、瀬戸からは陶磁器の製品を貨車で運んだ。1939年(昭和14年)に名鉄に吸収されて、名古屋鉄道瀬戸線となった。

 自分が瀬戸で就職した1978年には栄に乗り入れていて、赤い電車のイメージしかない。しかし先輩たちには緑の電車、しかも扉は手動式だったという。

 その瀬戸電がなぜ品野に、しかも岩屋堂にあるの?品野は1959年に合併して瀬戸市になったのは戦後の話だ。名鉄になる前の瀬戸電は戦前の話なのだ。

 地図の資料館というサイトがあり、そこに上の『品野 岩屋の滝全景』の絵葉書が。大正初期の瀬戸電気鉄道株式会社が作成した絵葉書だ。しかも瀬戸町伊里写真館が調製した鳥観図だという。図の左下が浄源寺になる。瀬戸電が観光地の岩屋堂にお客さんを鉄道で運ぶことを計画していたのだろう。