setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

品野の歴史を歩く会③ 品野と愛知中央鉄道

 謎の石碑の前で、郷土の歴史に詳しい方に説明を聞いた。瀬戸電が品野まで伸びる計画があったという。品野町は瀬戸とともに焼きものつくりが盛んな地域だった。そういえば、岡多線の話を聞いたことがある。瀬戸の人々にとって多治見や岡崎からの鉄道が欲しかったのだ。しかし当時の瀬戸電は非力だったこともあり、実現はしなかった。

 品野に鉄道の駅が書きこまれた地図があったはずだと自分の手持ちの資料を探した。残っていた。愛知中央鉄道が描き込まれた地図があった。品野町の時代で、文字が右側から書いているので大正から昭和初めの地図だろう。

 どうも瀬戸電の話とは別の計画らしい。この地図を見ると品野本町から鳥原を通って赤津方面に向かっている。
 ネットで愛知中央鉄道で検索すると、ちゃんとあった。1925年(昭和元年)に始まったこの計画では、品野本町から赤津、幡山、長久手、猪高(高針)、天白、大高を通って名古屋港に向かう。工業生産だけでなく観光や住宅地開発まで入れた大掛かりな計画だったようだ。第一次大戦後の景気の悪化、関東大震災、昭和大恐慌などの影響で計画は実現しなかった。

 品野に鉄道が走っていたら、どんな瀬戸になっていたんだろう。ほぼ百年前の先人たちは夢をいっぱい持っていたんだろう。

(地図は日進町誌から)