setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言272 イソヒヨドリが今年も帰ってきた

 この数日、とても美しいさえずりが聞こえるようになった。今年も帰ってきたのだ。イソヒヨドリだ。イソと名前がついていることから本来は海岸沿いに住む鳥なんだろうが、近年街なかでも生息するようになった。ヒヨドリとは全く違う種類の鳥ようだ。

 ヒヨドリに形大きさは似ている。腹は赤っぽい色だが胴体は青く美しい。毎年近くの倉庫の屋根に巣をつくる。電柱のてっぺんで鳴いていることが多い。美しい鳴き声なので、ぜひ『イソヒヨドリ』『さえずり』等の言葉で検索して欲しい。上の写真は昨日25日に撮ったが遠景過ぎて分かりづらい。数年前に撮った写真が下。

 次は、ツバメがいつ現れるか楽しみだ。

年寄りの戯言271 中馬街道を歩く会(その3)中品野を西に

 祥雲寺から中馬街道を歩いて西へ。東海環状道路品野IC前を西に進む。このあたりは品野(水野)川 が昭和32年に洪水を起こし多くの方が亡くなっている。その後の川の改修工事で川の流れは大きく流れが変わっている。そのため、中馬街道も道筋が変わっている。

 

 右端がIC、街道がはっきりしない部分が続くが、緑色は確認されている中馬街道だ。赤い点には、馬頭観音がある。黄色は今回中馬街道をはずれて歩いたコース。

 陸橋あたりから、中品野に入る。陸橋の足元には道標を兼ねた馬頭観音が祀られている。自分が好きな観音様の一つだ。残念ながらゴミ出しの場所の一つになってしまい、ゴミ用ネットの横に位置せざるを得ないのが可愛そうだ。狭い路地が南に続く。中品野の集落だ。この道が、岩屋堂横を通り赤津に行く道だ。

 

 20年ほど前、ある中品野の古老に聞いたことを思い出した。彼の家は、陸橋のすぐ西にあり、馬宿になっていたそうだ。馬たちは勝手に下品野へ行くが、馬子たちは馬宿で飲みながらチンチロリンをしていた。馬は下品野でチャント待っている。彼には大変お世話になったが、もう違う世界に行っている。いろいろなことを教えてもらった。

 何体もの馬頭観音が路地に置かれ、新しい花で飾ってあった。地域の人たちが大事にしている。

 品野(水野)川沿いにも桜が植えられていたが、まだこの日(3月19日)は咲いていなかった。川風で気温が低いのだろう。太い幹が残っているクスノキの古木の横に、赤と白、そしてサシが入った椿が咲いていた。地域の大工さんが造った釘を使わずに組み込んで造られていた五重塔がある。川沿いを行くとすぐ下品野村の氏神神明社に。

 このあたりから下品野の街に入る。

あこがれの車 トヨタ2000GT

 自分の人生のあこがれだった車が、トヨタ2000GT だ。今日、ユーチューブのカーグラフィックで2000GTを取り上げていたことで思い出した。

 高校の夏休みに兄のカメラを持って東京をさ迷った。銀座だったんだろう、真っ黒で金の細いラインがの入った2000GT を見つけ、写真におさめた。後期型だ。今から考えるとよっぽどの金持ちで、きっと特注だったんだろう。その時の写真は残っていないのが残念だ。


 車高が1100㍉、ロータスヨーロッパよりは高いがとんでもなく低い。地面を這うような世界だ。三菱自動車の二代目のFTO を購入し数年乗り回した。FTO ですら1300㍉だった。地面に腰を下ろす感覚だった。腰を入れてから足を入れなければ座席に座れない。エンジンは素晴らしい車だった。しかし。腰痛持ちだったこともあり、乗り降りが苦痛になった。

 もう若~くはないさと~と歌いながら、全く性格の違うジムニーに乗り換えた。

 トヨタ2000GTは、当時子供だった自分にとってあこがれの最高の車だった。

 

年寄りの戯言270 中馬街道を歩く会(その2)

 祥雲寺を出て、左折すると中馬街道だ。狭い路地道をしばらく行くと左手に稲荷社がありまず見学。稲荷神社から山を登ると品野城の跡がある。ここは三国山の麓にもなる。三国山は、三河の松平(今川)、尾張の織田、信州の武田との3つの国の境界となるため常に勢力争いの中にあった。今川支配下の品野城に対抗して品野川(水野川)の反対側には織田方の桑下城があった。

 電柱が邪魔だが、西側から撮った中馬街道(赤の点)。このカーブが好きだ。

中馬街道(上品野地区)左端は高速入り口

 写真の奥から下りてきて、ここで左手に曲がり国道に出る。国道を渡ると下り道。品野(水野)川沿いの観音橋になる。右手上の山が桑下城になる。橋を渡らず左の川沿いを西に進むのが中馬街道だ。車では通れない狭い道だ。昔は、狭い道は当たり前。中馬街道を守ろうと地域の方々が手を入れて守っているのだ。

 

 観音橋からは下は、品野川(水野・庄内川になっていく)が氾濫することがあり川筋を変えている。中品野にかけての街道は何度も変わっているんだろう。品野川の水はきれいで住宅の側溝には何とサワガニが歩いていた。上海蟹と同じ仲間のモクズガニも住んでいる。古老に聞くと昭和20年代まではうなぎを捕るために仕掛けをしていたとのこと。自然豊かな地域でもある。

 この日、うぐいすが鳴いていた。夏になると、瀬戸では聞けないヒグラシが鳴く。自然豊かな品野だ。馬子たちは自然を楽しみながら歩いていたんだろう。

年寄りの戯言269 中馬街道を歩く会(番外編)

 歩く会で久しぶりにある先輩と再会した。聞きたいことがいくつかあったが、その1つ。彼が若い頃三十代前半、乗っていた車の名前が思い出せないのだ。彼は、車の窓にスモークを貼り、カッコ良いクルマに仕立てていた。紺色の三菱車。シグマやラムダは憶えているが、何故か車名が出てこない。

 彼に聞くチャンスが今日、突然できた。マスクをしているのでわからなかったので一緒に歩いているのにお互いの存在に気づかなかったのだ。何と中馬街道を歩く会で一緒に歩いていた。元気に頑張っているのでうれしかった。

 車のことを尋ねたところ車名までは覚えていなかったが、『ダッシュ』、『200馬力』、『インタークーラーターボ』という言葉が。排気ガス規制がしかれる以前だ。当時、尖っていた車たちだ。

 やがて280馬力まで各メーカーが自主規制、そして排ガス規制が国から指示される。それまではターボのニッサン、ミツビシに対しトヨタツインカムで対抗する。その頃のミツビシは色々な車種を出し続けていた。いわゆる増殖していた。その中の一車種だった。

 コルトギャランの5代目。エンジンがシリウスダッシュと呼ばれていたことが分かった。ギャランΣ(シグマ)4ドアハードトップ。ドアの下部には『SIRIUS DASH 3×2』の文字が書かれている。

 米国で主に販売されていたスタリオンと同じエンジンだ。友人も品野の人だ。この写真のスタリオンも品野にあった。今ではレストアが終わり走り回っているんだろう。

 自分たちの年代の若い時代、車に楽しみを感じていた人は少なくなかった。

年寄りの戯言268 明日は旧暦の2月1日です???

 今日は旧暦の2月30日だ。明日は旧暦の3月1日ではない。明日は旧暦の2月1日にもどる。今日で2月が終わり、明日から2月が始まる。閏月だ。(うるう)2月だ。今日は春分の日で、昼と夜の長さが同じ。そして新月。月が全く見えない日。不思議な気がする。

 旧暦の閏2月30日に、準決勝で侍ジャパンはメキシコに劇的な逆転サヨナラ勝ちし、明日の閏2月1日に侍ジャパンは決勝でアメリカに勝ち世界一になるはず。

 すごいなあ、侍ジャパン。今日は驚いた。

年寄りの戯言267 ゼロハンカーがあった!

 歩いていると、とんでもないものを見つける時がある。今回も変わったものを見つけた。横には古いプジョーが置かれている。これも珍しいが、この写真の車はほとんどの人はわからないはず。自分も実物は初めてだ。存在はしてはいたが名前は覚えていない。ネットというのは便利なものだ。マイクロカーで調べたら出てきた。

 1982年にミツオカが発表した、最初のオリジナルカーがゼロハンカーのBUBUだ。オートバイのナナハンは750ccの排気量のバイク、ゼロハンは50ccのエンジンだ。この車は原付免許でも乗れるのだ。光岡はこの車から始まったようだ。

 

 光岡とは市販車を作り直し変わった車を販売している富山市にある自動車メーカーだ。上の写真は『オロチ』だ。ホンダ自動車の先代のNSXをもとに作られた車。スーパーカーである。BUBUとは全く正反対の車である。

 

 BUBUの横の車だ。初め、米車だと思っていたが、マークを見ると。フランスのプジョーだった。歩くことも楽しい。

 

BUBUとオロチの写真は、光岡自動車のホームページからお借りしました。