setokouchanの日記

もうすぐ70の年寄がPHEVで観音巡りにチャレンジ中。コロナ禍と灼熱地獄で家でごろごろ。現在は子供の頃を思い出しながら妄想中。観音巡りは休業中です。ごめんなさい。カテゴリー用の丸数字が50を超えたらなくなった。

㉞満洲(満州)

 この頃、満洲という言葉が自分の中で暴れている。自分の父親の若かりし時代を追っているうちに、自分の両親と、60年以上前の幼なじみの両親と同じ時間、同じ満洲国で暮らしていたことがわかった。そして敗戦で同じように乳飲み子を抱えて、違う民族の人々に時には襲われ、時には助けられたりしながら、博多まで一年以上かけて逃げてきた。

 同じ様な体験をしてきた人とその子どもがすぐ近くに住み、何も知らずに友人となっていた。
 60年以上経ってそのことを知った。そのきっかけは55年ぶりの小学校の同窓会だった。この友人は5年生で転校していた。普通なら出会うはずのないのを、結びつけたのはM君だ。捜し出し連絡をとっていたので再会できたのだ。同窓会で昔の面影を探した。やっぱりN君だと思わず言葉にしていた。同窓会では、いろいろな友人たちを見ながら、誰だったかなと名簿を見て、子どものころのかすかな思い出を探す。
 N君は両親が満洲の引揚者と言っていたことを、その時はうちと同じなんだと思いながら軽く聞き流していた。
 
 父親は、満洲で満鉄の機関士だったということは両親から聞いてはいた。でも具体的なことは何も知らない。今年3月にちょっと読んでみようと買った満洲を特集した歴史の雑誌があった。自分の父親や母親について知らない。母親については施設に見舞いに行った折に、少しは聞いて、ノートにメモしていた。でも満州のことはあまり聞いてない。

 雑誌を読んで、最近知ったかぶりをしてN君に連絡入れた。なんと彼は父親の体験を全て記録に残していた。ネット上に公開していた。すぐに読んだ。
 二つの家族で、大きく違っていたのは体験をことあるごとに伝えていたことと、反対に何も語ろうとしなかったことだ。どちらが正しいとかではない。きっとどちらも考えられないほどのすざましい(正しくはすさましい)体験をしたんだろう。

 知った以上。今自分ができることは、80年前当時30歳前の夫婦が満洲という国によって翻弄され続けたことを他の人にも知ってもらうことしかない。
 リンクの貼り方がまだわからない。勉強あるのみ。はてなブログの使い方のページで学ぼう。でもhtmlって難しそう。年はとりたくない。 
 早く読みたい方は、行雲流水 満州 で検索すると見ることができる。リンクが何とか貼れました。心も晴れました。(7月30日更新)