setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言200 違いに気付く大切さ

 三河で育つたか、尾張で育っだったかでも大きく違う。都会、海辺?山辺?育った場所でも色々なことが違っている。

 また、生まれた年代でも大きく違う。自分の頃は明治は遠くになりにけりなどと平気で言っていた。間に大正があり、平成、令和ときた。昭和は本当に遠くになってしまった等と言われないように、昭和世代は良き先輩と言われるようになりたい。でも肯定的な後輩ばかりでは、世の中は変わっていかない。

 必要なことは、考え方が違っていることに気がつくことができるか否か。 

 地元に、ずっといることも生き方だ。仕方無しに残る人もいれば、積極的に残る人もいる。所変われば品違うという言葉があるが、この頃意味がわかる気がする。

 違っていることを感じなければ、違いが理解できない。違いが分かって初めて気づくことも多い。

 友人が、地域の活動で悩んでいるとぼやいていた。自分も数年前に地域の自治会に関係してとんでもない目にあった。地域の活動をするのは当たり前だと上から目線で押し付ける。中心にいる人は昔から地域に住み、自分たちがやっていることは当たり前だと判断しているのだろう。中心にいる人達は何年も、いや何十年も関わっている人たちで構成されている。下手をすると昭和のまんまかもしれない。市会議員や県会議員も動かす力を持っている。

 ずっと同じ人間がずっと同じ地域でずっと同じことをやっている。これでは変わっていくはずがない。何が間違っているのか理解できないのだ。町内会、自治会、PTAなど若い人たちがやめたがるのは当たり前だと思うのは自分だけではないだろう。

 今年はうさぎ年だ。若者が年寄りを思い切り蹴飛ばさないと世の中は変わっていかない。物言う若者がいっぱい出てきてほしい。