setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言449 昭和58年9.28豪雨災害 美濃加茂市その2

 今日、9月5日、関東の都市でゲリラ豪雨があった。映像を見ていると美濃加茂の災害と重なる。マンホールや排水路から水が噴き上げている。

 美濃加茂の知人は昭和58年のころ2軒の店舗を経営していた。美濃加茂の西にあった店舗の前のマンホールから水が噴き上がったという。急いでパソコンなどを高い位置に移動させたが間に合わなかった。彼のお母さんが、少し上流にある太田橋の上から柄杓(ひしゃく)で水がすくえるぐらいだったと言っている。でもまだ日中の出来事なのだ。

 写真は、上が東(木曽川の上流)になっている。真ん中縦にある道が中山道、横(南北)にかかる橋が古い中濃大橋(今は国道41号線が走る大きな橋)だ。水色に塗られているのが浸水地域だ。上流の太田橋は標高70m、美濃太田駅は69mに対し中濃大橋付近は63mと低く降った雨は集中した。夜7時に市の避難命令が出た。上流では雨が降り続けた。市民1500名もの市民が避難した。

 国道41号線近くのこの店舗周辺はは、美濃加茂の中でも標高が低く周りから水が集まってくる。美濃太田駅方面から、東側の太田宿方面からの水が集中した。流れ出ていくはずの木曽川の水面が高くなっていく。バックウォーター(逆流)で水が流れ込む。太田宿に水が流れていく。さらに当時は堤防が低く、豪雨のため増えた水が堤防を乗り越える。極めつけは丸山ダムからの緊急放水だった。明くる日の29日未明に木曽川は最大の水位にたっした。太田宿周辺は天井まで水が流れ込む。

その3 へつづく