setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

節分が過ぎ、今日から春なのに考えてしまう

 昨日、我が家の前を道に迷った老婦人がシニアカ―に乗って、家の前を通りかかった。話してかけてみると昔の知人に会いたさでやって来て迷ったようだ。でも見たことあるような風景だが分からないという。一緒に町内を回ったが結局分からない。

 歳は90になったとのこと。残念ながら住所とか身元が分かるものは持っていない。家には帰ることはできると言われたが、心配になりせめて家の前までは行こうと考えてシニアカ―の横について歩いた。周りの安全を確認しながら一緒に歩くが、シニアカーは思ったより速い。自分は有酸素運動のペースでないと付いていかれない。数十分のジョギングとなった。最終的には警察の方に来てもらって、無事帰すことができた。

 年を取るということはこういうことだと思わざるを得なかった。自分の20年後の姿なのだ。この方が生きてきた時代は男中心で家庭や社会がまわっていた。女性は家庭という場に縛られていた人が多い。少ない会話から推察すると、ご主人の転勤について転居するので地域になじめなかった、ご主人を数年前に亡くされて、家ではいつも一人でいて寂しかったようだ。

 今日の朝刊を見たら『老いるこの国見つめる』と題して連載を始めた。『誰そ彼のとき』どう読むんだろうとよく見ると『たそかれのとき』(黄昏時)なのだ。これから老人大国を迎える日本がどうしていったらよいのか、中日新聞がいろいろな角度から切り込んでくるのだろう。

 昨日老婦人と出会ってさらに今朝のこの記事だ。老いること、孤独になること、寂しいことなどいろいろと考えさせられた。