setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

第5回せと歴史探訪講座 やっと③(青の広場と伊香保温泉)

 2月2日に範效公民館で行われた瀬戸蔵ミュージアムの元館長武藤氏に教えてもらったことの3つ目の記事になる。

 宮前(深川神社前)は瀬戸の劇場や料理屋が多くの人が集まった。昭和29年に『青銅の基督』の映画の撮影が瀬戸キャニオン(粘土鉱山)で行われた。映画の全盛期、大女優山田五十鈴香川京子が瀬戸にやって来た。俳優さんたちは名古屋で泊まったんだろうが、スタッフたちは米屋旅館に宿泊したという。

 講師の武藤氏は、その米屋旅館は、宮前の瀬戸川沿い、今は青の広場の位置にあったと言う。???ここってパチンコ『赤玉会館』があった場所だ。自分が瀬戸に来たての頃はすぐ近くに住んでいた。宮前近くには三つのパチンコ屋、二つのゲームセンターがあった。自分が二十代の頃は、よく遊んだ。パチンコ屋もゲームセンターもなくなった。その米屋旅館のあとにパチンコ屋になり、十年以上前に休業した。数年前に取り壊され広場になった。

 瀬戸ノベリティ倶楽部で紹介されている『青銅の基督』を読んでいると伊香保温泉の話が出ていた。伊香保温泉のご主人がカメラを趣味としていて『青銅の基督』の撮影の様子を写真に残していた。伊香保温泉は米屋旅館の瀬戸川を挟んだ反対側にあった。近くに住んでいた自分は、アパートに風呂がなかったので、よくお世話になった。

 郷土史を研究された小澤武夫氏の『背戸と天神』に伊香保温泉の記述があった。

 大正3年宮前橋が大改修されると、翌4年、橋のたもとに寺社風の風呂屋を初代佐久間さんが建てられ、その後伊藤さん、加藤さんと私が受け継ぎ、その堂々たる館(三階建て)と川北の米屋旅館(三階建て)と共に瀬戸名所となり、夜となると多くの人が一日の仕事の疲れをいやさんため、宮ぶらの目印になりました。昭和17年湯屋統制令も逃れ、美しい姿を瀬戸川に映しておりました。一階は岩風呂の浴場、二階は戦前瀬戸一の玉突き場でした。戦後は社交ダンスのレッスン場となり、若い男女でにぎわい瀬戸に社交ダンスを広めました。

 伊香保温泉ってレジャーランドだった。