setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

中馬街道の歴史を歩く会(泉町の山崩れ)番外編①

 中馬街道を歩くために品野のグループが宮前から追分まで30名近くの年寄りが歩いた。2月11日のことだ。自分も参加したが、今日20日、池田通りを北上しもう一度堀出し地蔵の撮影が目的だ。

 目的以外にとんでもなく自分にとって、得ることが多かった。堀出し地蔵を見たあと、帰ろうとして路地の右手を見たら忠霊塔が山の下からよく見える。この歩くかいの当日時間がなくて見れなかった忠魂碑がよく見える。前から来た方に思わず喋ってしまった。

    喋っていてわかったこと。彼女は泉町の近くに住んでいたこと。若い頃はご主人の関係で豊橋に5年ほど行っていて、自分の住んでいた老松町からは近い借家に住み始めたという。自分の兄と同じ24年生れ。

 しばらく話しているうちに彼女が子供のころ、泉町の山崩れを体験しているのことが分かった。8月7日深夜、山が崩れてきた。避難時に、母親は下に逃げようとしたが、父親は上に逃げる言って、無理やりに家族の手を引っ張っていった。それが正解だった。何が正しいとか間違っているとかではなく、運命が彼女たちに味方したのだ。子の山崩れで22名もの方が亡くなった。当時彼女は小学校中学年になる。深川小学校の児童が3人亡くなっている。前々回、泉町の山崩れの記事で慰霊碑のことを書いたばかりだ。

 街角での立ち話だったので詳しいことは聞けなかった。また会えたらぜひ話を聞かせてほしい。瀬戸は水害が多い地域だということを忘れないようにしよう。