setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

中馬街道の歴史を歩く会その13(森橋)

 十三塚地蔵堂を地道沿いに南下すると国道155号線に出ると、明治二十三年に制定された中馬街道になる。瀬戸街道とも呼ばれていた道だ。瀬戸街道と言っても共栄橋を通らずに追分を通って新瀬戸から根の鼻、三郷に抜ける瀬戸街道の旧道だ。追分から旧中馬街道とは分かれるものの、瀬戸の産業を担ってきた道でもある。

 起伏のある旧道を長々と歩んできた三十名近い軍団の最後に位置していた我々数名の年寄りを国道近くで待っていてくれた会の責任者は、陣屋川にかかっている橋の話をしてくれた。名前は『森橋』で、ここを基点に明治二十三年に新しく制定された中馬街道の起点にあたるという。この森橋が今村と瀬戸村の境になる。

 明治に新しく中馬街道となったのは、森橋を起点に尾張瀬戸駅、宮前、古瀬戸を通って品野にそして信州に向かう街道だ。馬子と馬が荷を運ぶだけの狭い道ではなく、車(馬車や自動車)が走ることができる道を想定して拡幅したり、コースを変えたりして新道をつくった。地域を調べていくと『新道』や『新道町』などの名前が残っているのが面白い。

 でも自分が瀬戸に来た50年近く前は品野に行くバスに乗ると「えっつ!こんな道を走るの?」と思う道が何か所かあったのは確かだ。

 上の写真で、橋の名前が書いたプレートが普通あるはずだが、戦時中に金属の回収で無くなったままになっていると説明された。確かに無い。戦後90年近くなるのに過去を引きずっている森橋だ。市役所も完全に忘れているのだ。それを知っている年寄りもすばらしい。