右手から左手に向けて歩いた。ひかり保育園が右手奥にある。ひかり保育園の前を下っていく道が池田通り、銀座商店街を横切って記念橋に出る。写真を撮っている自分の後ろは迷路に近い道だ。窯神神社や銀座商店街の西方面に行けるが、結構複雑だ。
堀出し地蔵前に、道標がある。『←水野道、→品野道、道路に障害物を置くべからず』昭和八年一月建立となっているので、比較的新しい。明治23年に品野〜古瀬戸〜宮前〜瀬戸駅〜追分の旧瀬戸街道が中馬街道に指定された。それまでは印所街道からこの道標前を通って追分に向かう道が、中馬街道の代わりとなっていた。昭和8年だとこの道は粘土を運ぶ馬車が通っていたんだろう。
昭和8年の道標の前にも古い道標がある。よく見ると『右 品の、左 水の』と読める。作成年代は不明だった。きっと江戸時代からあったものなんだろう。
お堂の格子越しにしか会えなかったが、たくさんの旅人、馬方、さらに運送業者を見ていたんだろうか。自分の義父も若い頃は馬を引いていた時代がある。すぐにマツダのオート三輪さらに四輪トラックに変わったようだ。この街道を通ったはずだ。
写真は岐阜市歴史博物館に展示してあったマツダのオート三輪だ。義父が乗っていたのは、ドアがなくロープがドア代わりになっていたというから、もうひと世代古いんだろう。