setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

中馬街道の歴史を歩く会その6(交通安全観音から堀出し地蔵へ)

 泉町の山崩の石碑から印所街道に戻り北上する年寄り集団。(実は母親と男子中学生の親子も参加している。)しかし平均年齢は自分より高いだろう。最高齢は90歳だ。上り坂になると列は長くなる。

 狭い道を通っていくとこんな目立つ看板がある。車で通ると気にはなるが道幅が狭く止まらずに通り過ぎる。今回は歩きなのでゆっくりと見ることができた。お堂の中には大小2体の石仏が安置されている。大きい方には『西 なごや』『東 志なの』と書かれている。小さい方は手のひらより少し大きい程度だ。昨年この交通安全馬頭観音について記事を書いている。興味のある方は、こちらから

 印所街道を瀬戸(宮前)方面に少し引き返し、右(西)に曲がる。道標を兼ねた交通安全馬頭観音の指示通り名古屋方面に向かっているのだ。

 写真の左は元来た印所街道、追分(名古屋方面)へは斜め右に入る。この道はそのまま進むと印所街道にまた合流して宮前に出てしまう。ダラダラと下り気味の道を200m程歩くと右に曲がらなければならない。7・8階建ての白いマンションに向かうといい。ノベリティ・子ども創造館前を右折になる。恥ずかしい話だが40年以上瀬戸に住みながら方向音痴な自分はうまく通れたためしがない。必ず方向を見失う。

 子ども創造館とマンションの間の道に右折する。左側から上がってくる道の3本目に保育園がある。この道は記念橋から北に上がってくる池田通りになる。保育園前を通り過ぎ4本目の道に堀出し地蔵と津島社が祀られている。東側から来ると工場の影になるので見づらい。

 この道は、県道207号線(定光寺山脇線)だ。県道と行っても狭く車のすれ違いができないアップダウンの多い道。陣屋や安戸・道泉地区に抜けることができる昔ながらの道なのだ。