setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

栄国寺 延命地蔵さん①

 瀬戸のことを調べるために歩く。最近のテーマは、昔の街道調べと街道に残る石仏。瀬戸の三地蔵という有名な地蔵様がある。一つは堀出し地蔵(写真上)中馬街道の歴史歩く会で見た。2つ目は郷の佐吾八地蔵(写真下)だ。3つ目が南新谷(みなみしんがい)の延命地蔵だ。上が北新谷の堀出し地蔵、下が(西)郷の佐吾八地蔵だ。

 南新谷の延命地蔵は昔は西本町の辻にあり、今は延命地蔵栄国寺にご本尊として祀られている。毎年7月には地蔵祭をしている。

 延命地蔵について調べたくて栄国寺を訪ねた。山門の前に住職が亡くなったとの張り紙があった。寺務所のチャイムを鳴らした。出てきた方は男性の住職。延命地蔵について知りたいとお願いをしたら聞いてきますとのこと、本堂から小柄な尼さんが出てきた。やはり今も尼さんのお寺なんだと安心をしたが、同時に誰が亡くなったのか聞いてしまった。何としんぽさんだと言う。 

 妻が子供の頃の我が家は栄国寺さんのすぐ隣にあった。当然お世話になっていた。我が家は50年以上前に家を建てて引っ越していた。越してからも栄国寺の住職さんに来てもらっていた。栄国寺は尼さんの寺だ。お教をあげてくれたのはしんぽさんという方だった。きれいな方、そして自分が一番記憶しているのは、お教の声が妖艶、しかもお弟子さんも入れて3人でお教をあげる。美しさを通り越して神秘的な唱和になる。

 しんぽさんのはずはないと勝手に思い込んでいた。我が家は代替わりをしてお寺さんをかえていた。半世紀も前だ。亡くなったしんぽさんは105歳だという。今の住職さんは我が家を覚えていた。年齢的にも我が家の父母と同じ世代になる。しんぽさんと一緒に来ていた3人の中の一番若い方だった。子供の頃からしんぽさんのもとで修行をしてきた。

 延命地蔵さんを調べに来てしんぽさんの死を知った。遺影の写真は100歳とは思えない。大往生だ。四十九日前に住職は忙しかったのにいろいろな話をしてくれた。感謝あるのみ。