setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

年寄りの戯言281 中馬街道を歩く会(その7)若者が頑張っている

 下品野の中を抜けて、今日のゴールになる全宝寺

 ここは、戦国時代の出城があり、その後は地蔵堂として地域に知られている寺だ。品野祇園祭の山車がここから出発して品野本町に向かう。国道を閉鎖して行うのだ。せともの祭より歴史は長い。牛頭天王を祭神とした夏祭りだ。わざわいから村人たちを守る大切な祭りなのだ。8月の第2土曜日に行われる。

 古地図にも地蔵堂という名が記されているが、今は品野祇園祭が有名になったからであろう、祇園という名前に変わっていた。全宝寺は丘の上にあり西の方向が見渡せる、名古屋のバンテリンドームや高層ビル群まで見ることができる。戦国時代は、出城がこの場所にあった。

 全宝寺では残念ながら住職に会えなかったが、息子さんが出てきた。なんと祥雲寺の副住職まだ坊さんを始めて間もない若者だが、全宝寺の息子さんの駒沢大学の先輩だということ。副住職の顔からすっかり若者の顔にもどって会話していた。祥雲寺の副住職は確か26歳?なのだ。昨年から、宝泉寺で修行をしながら我が家の義母の月命日に、お経をあげに来てくれる若者だ。全宝寺の息子さんも、この夏に岡崎で修業を終えると卒業して帰ってくるという。

 宗教の世界も新しい世界に変わらないといけない。檀家はどんどん減っている。昔のシステムではお寺の経営はできない。彼らなら新しい世界を造ってくれるだろう。楽しみだ。変革は、若者しかできない