尾張旭市との境目で濁流が北から西の瀬戸川に向けて流れた。もともとため池があり昔から水害が多くあった地域だ。中馬街道や旧瀬戸街道も標高がやや高い位置を通っている。ここは家が立ち並ぶ前は小川があり、シジミが採れたときいたことがある。周辺の村から子どもたちがこの小川に遊びに来ていたとの話を聴くことができた。今の瀬戸市と尾張旭市の境目になる。この小川は今はないが、近くを愛知用水が地下を通っている。
昭和51年7月19日の川西町を北の根ノ鼻方面から流れ込んだ濁流は踏切を渡り東三郷の交差点に。今はラーメン屋があるが昔はガソリンスタンドだった。スタンドの中を通って、瀬戸街道の南側、正面にあった自転車屋さんの店の中を突き抜ける。店の前は歩道の縁石がちょうどなく、道路よりも若干土地が低かったこともあり流れが集中したようだ。その後、濁流は喫茶店の東側の車庫に入り込む。地域の人達はクリーニング屋さんが一番大変だったと話す。川西公園の西側の家の多くが床下浸水となった。
この水害をきっかけにして、東三郷の交差点から南に巨大な水路ができた。(川西都市下水路)また川西公園の東西の道にあった水路は地下に埋められた。
まだ一本の水路が道路脇を通っている。大雨のとき水がいっぱいになる。一応ガードレールで囲ってはあるが溢れた場合心配だ。これらの水路が整備されて以降水害はなくなった。しかし油断はできない。基本的には1時間50㍉の雨に対応とのことだ。近年1時間100㍉以上の豪雨が増えた。自分も含めお年寄りの数が増えている。町内で助け合いながら防災をしていこう。