四国でM6.6の地震が起こったのは17日の深夜だ。自分は次の日の早朝に知った。その前日(16日)に濃尾地震について調べに根尾谷断層観察館に行っていて、濃尾地震の記事を書き始めたばかりだった。
自分なりに耐震化した家造りや太陽光発電、PHEVなど対策は考えてはいた。地震の実際の怖さを知らない自分にとって、いざ今住んでいる瀬戸で体験したらどう反応するんだろうか、ちゃんと動けるんだろうか考えてしまう。
観察館には当時被害にあった方の体験談が掲示されていた。
『波打ってきたでなア』
(前略) ダァーッ、ダ、ダ、ダァーッときたときは物音も聞こえるようなもんやあらへん。ダァーッときて「わ アー」「ひやァー」といっとる間に下敷きになってまっとんたんやでなァ。・・・まず10日ぐらいは船に乗っとる ようなもんで、ゆさゆさゆさゆさと1分間と止まっとらへんなんだ。・・・山のはげたところが地震でこけて、石がガランガランと落ちづめに落ちとったがなも。・・
下敷きで死んだ人は、弔うどころか、坊さまもやられとるで呼べやせんし、みんな村のもんが寄り合って、一 軒一軒の死骸をのこぎりで引き切って出すんや。・・・ むしょ(墓場)では長い長い穴掘って、そこに死骸の頭をそろえてびしっと並べて、つってったむしろをかぶせ てなも、わたしンとこもおっかはんとほかに二人死んで 都合三人埋めたんや。そいで、顔に土がかかるのがかわいそうやいうて、着物脱いで顔にかぶせてなも、みんな裸でもどったんや。・・ (天神堂区のA氏 )
写真の地面が動いた跡だ。斜面がずっと奥まで続いている。この先に天神堂地区がある。根尾谷断層は、明治24年に上下に6m、横に8mもずれた。天神堂とは観察館のもっと北にある地域だ。根尾谷とは断層に寄って地面が裂けてできた地域なんだろう。80kmと非常に長い日本最大の活断層だ。その上にできた街道、岐阜から福井に抜ける道(今は国道418号線)に沿って人家ができた地域だ。
1月1日の能登半島の地震。あれからもう5ヶ月近くになるが、いまだに苦労されている方が多いようだ。こんどは自分だと思わないといけないんだろう。