setokouchanの日記

とうとう71歳になりました。今住んでいる瀬戸市について、また生まれ故郷の豊橋について思ったことを文字や写真に。日記代わりに毎日記事を書いています。観音巡りはいつのまにかやめてしまいました。

瀬戸第一尋常小学校(陶原小学校)その2(訂正あり)

 效範公民館に郷土史研究家のA氏の口から、思いもよらぬ言葉が出た。

 效範小学校の話から瀬戸の第一尋常小学校(陶原小学校)のあった場所についてだ。最初は洞の宝泉寺の中にできた。その後瀬戸駅の西瀬戸川沿い(今の愛陶工)の位置に移動、大正時代の末に大水で校舎の一部が流され、新しい校舎を熊野町(今の陶原公民館)に、そして山を挟んだ南側の原山町に現在はある。自分の頭の中ではそのはずだった。

 「第一尋常小学校は、宝泉寺の後に銀杏木にいっている。」「アピタの東側だ。」と言う。よく聞いてみると、自分が瀬戸の南新谷のメインストリートだと考え歩いて出くわした不思議な広場のことだった。なぜこんなところに広い駐車場がと思える狭い道の、そして真ん中に手入れのされていないお不動様の社がある不思議な空間だった。航空写真の☆印の位置だ。

 ということは、陶原小学校は、①宝泉寺②銀杏木の駐車場③愛陶工④陶原公民館⑤今の原山町になる。もしかすると現在の位置になるまでにこれ以外の場所があるかもしれない。今村の效範小学校の話合いなのに、A氏の言葉で、話す方向を脱線させてしまった。反省しないといけないが、疑問だったことの解答が突然出て来たうれしい瞬間だった。

 お昼に陶祖まつりの花火の音が聞こえた。今日明日は藤四郎のお祭りだ。宮前は多くの人でにぎわっているんだろう。明日も天気が良ければいいんだが。

(訂正)銀杏木にあった小学校は、瀬戸高等小学校でした。申し訳ありません。